10月 « 2017年11月 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30  » 12月

スポンサーサイト

--年 --月--日 --:-- (--)

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

心をうるおす花屋

2012年 10月06日 05:57 (土)

2012年10月6日

パソコン不調で迷惑をお掛けしました。
まだまだ本調子でございませんがブログを書い
みます。

震災で母を亡くした釜石市の2人の女性が開い
た花屋がある。東日本震災から1年半。「10
年分生きたようだ」「先が見えずつらい」

家族を失った悲しみを抱きながら1歩前へ進も
うとする人たち。

荒地が広がる岩手県釜石市にポツンと出来たプ
レハブのお店。
母親を津波で失くした田中ゆかりさん(45)と

いとこの田中節子さん(40)だ。2人は今夏
実家の跡地に花屋をオープン。供花を求めに来
た遺族に少しでも気持ちをやわらげてほしいと

願いを込め花を手渡す。
震災から2日目、ゆかりさんは大追町からドロ
ドロの泥道を歩いて実家に向かった。

母の東梅キタさん(67)とキタさんの姉であ
る田中ナツさん(83)(節子さんの母親)
と連絡が取れず居ても立っても居られず泥道を

歩いていたのであった。
ようやく慣れ親しんだ我が家に帰りつくと家は
無く、ナツさんが1週間後、キタさんがその数

日後、遺体で見つかった。2人に着せる服も、
ひつぎに入れる遺品もなく、ゆかりさんは親戚
買ってきてもらった花を添えた。

当時、鹿児島で暮らしていた節子さんに親もお
ばちゃんも駄目!とメール
最後まで見てやれなくてごめんと打った。

小さいころからお風呂も一緒に入っていた2人
ゆかりさんの帰ってきたらというメールに・・
節子さんは昨年10月に帰って来た。

母親へのつのる思いから実家のあった場所でお
店を始めようと言い出した。
ゆかりさんは当時を思い出し「せめて、花だけ

は切らしてほしくない」と花屋に決め、今年7
月に開店した。店名の「ゆーせつ花」は2人の
名前から取ったと言う。

店に訪れた60代の男性は2人が母親の事を話
すと「自分も母親だけはと手を引いていたんだ
けど津波に飲まれっちまってと下を向いた。

遺族が互いの境遇を話す店内。
女性から夫と子供を失くしたと打ち明けられ、
2人は注文を受けた白い菊の中にアカやオレン
の花をそっと忍ばせる。(西日本新聞参照)

ひょっとこ詩人  一ノ宮けんし


関連記事
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

2012年10月06日 21:08

胸が詰まります。
今日 佐賀県立美術館で開催された
山下清展に行ってきました。

花火が好きだった山下画伯の言葉
「みんなが爆弾なんかつくらないで
きれいな花火ばかりつくっていたら
きっと戦争なんて 起きなかったんだな」

一向に復興が進まない被災地を
山下画伯が見たら どんなに心を痛められることでしょう。

TOOKOちゃんへ

2012年10月07日 08:06

> 胸が詰まります。
> 今日 佐賀県立美術館で開催された
> 山下清展に行ってきました。
>
> 花火が好きだった山下画伯の言葉
> 「みんなが爆弾なんかつくらないで
> きれいな花火ばかりつくっていたら
> きっと戦争なんて 起きなかったんだな」
>
> 一向に復興が進まない被災地を
> 山下画伯が見たら どんなに心を痛められることでしょう。

2012年10月07日 08:15

コメントありがとうございます。障害者とコラボ展したり、イベントを見に行きますがみんな心が純粋なのに驚きます。
その中で絵に秀でた者、写真に魅せられた者、音に敏感に反応する子、私達には持てない世界に入っていけるからすばらしい作品が残るのだろうとおもいます。貴女の温かい心で見られた作品はますます生きてくるとおもわれます。
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。