01月 « 2012年02月 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29  » 03月

スポンサーサイト

--年 --月--日 --:-- (--)

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

恋でもしてるのかなァ!

2012年 02月29日 06:40 (水)

2012年2月29日 九州地方は大雪になった。この寒い日がいつまで
続くのか?ある女の子の手紙を待つが2月ももう終わろうとしているのに

こなかった。あの子に春がきたのであろうか?

とんぼ

この世の中、携帯、メールがはびこる中、「おじちゃん手紙書いてもい
い」とタクシーの後部座席に座った女の子からいわれて久しい。

今年も2月の終わりを待つがやはり来なかった。市民会館から乗せた中
学生の女の子。もう学園を卒業して恋でもしているのだろうか。

私は今日のような小雪の舞う寒い日に、演劇でもあったのか市民会館か
ら○○学園まで女の子2人と先生1人を乗せた。

○○学園とは少年院と違って、非行に走った中学生などを更正させるた
めに収容し普通の中学と同じように教育させるところである。

私は監視の先生がついているのもお構いなしに質問し、彼女から学校
内のことなど最初は笑わせながらジョークを交え聞いているうちに突然

「あなたも悪いが、あなたの親が一番いかん!」と大声を出してしまっ
た。そして更に「おじさんがあなたの親なら、あなたが最初に万引きし

た時、ぼこぼこ叩いとるね!」「何で叩かれんやったとー」と彼女に
言ったら「そう、おじちゃん、私もそう思う」「あの時、おやが怒って

くれてたらこんな所にはいっとらんよ」「私もおじちゃんが言うように
怒ってもらいたかったァ」 

逕サ蜒冗ャ代▲縺ヲ逕溘″縺ヲ繧点convert_20111027154139

そんな会話をしているときも先生は黙って聞いていた。私は・・・
「出てきたら2度と悪そ、はしなさんなァ」と念を押すと彼女は

「うん」「おじちゃん、手紙出してもいい」と言ってきた。
私は「いいよ」と言ったけど見ず知らずの男に、しかも今日会って

今日から付き合うことを学園はゆるしてくれないだろうと思った。
タクシーを降りたとき、この子が別のタクシーに乗ってた女の子をも

呼んで「おじちゃんと写真撮ってもいい」と回りに寄ってきたので
みんなとパチリと撮った。

「手紙だすからね」と言ってたあの子は手紙を出すことは無かったのか
こなかった。おそらく学校が許さなかったのだろう。

学校側の親心であろうと私は解釈した。
また3月の季節になると卒業のシーズンである。この時期、数校の高校

から来賓のお呼びがかかる。
そして卒業生代表で「ケンカをして前の学校を退学になり、一ノ宮さん

にこの学校を紹介してもらい、相談室にくると「転げ落ちても また
這い上がれ アリの根性を見習えよ」と黒板の横に掲げられた一ノ宮

さんの詩を見て大学に行こうと決心し今度大学に合格しました。とか
私は家は裕福なのに親に反発し万引きを繰り返し3高校、退学になり

一ノ宮さんのブログでこの学校を知り、親の援助をうけず中州で夜働
きながら卒業しました。

・・・という声を卒業式で聞くたびあの子の事を思い出す私であった。


スポンサーサイト

幸せころころ!

2012年 02月25日 04:24 (土)

2012年2月25日 幸せの道を歩いているAちゃんから4月に結婚し
ますというメールが来た。

おかめ

Aちゃんと出会ったのは7年前の雨の降ってた朝であった。親不孝通りを
濡れながら歩いていたAちゃんの横にタクシーをつけ「乗らない?」と声

をかけると涙を流しながら乗って来た。
とっさに私が「どうしたの?」「彼氏に振られたの?」と運転しながら声

をかけるとそうだと言った。
「そう、それは良かったね」と例のの調子で「神様が助けてくれたんだよ」

「どうしてなの?おじさん」と言うコトバに彼女は私の方に胸を開いた。
「私、ふられたのよ」「つらくて泣いてるのよ」

と言う彼女に、だから「おめでとう!と言ってるんですよ」
あなたみたいないい娘を振るくらいの男なら、ほかに女を作ったんでしょ

と言うと、そうだと言った。だから神様があなたを助けてくれたんですよ。
あなたを守ってくれたんですよ。このまま行って結婚し子供ができて浮気

され他の女のところに逃げられて、お父さん帰ってきてと言っても遅いよ
だから神様が分かれさせたんだからと言って彼女に色紙を書いてやった・

「悲しみ禁止の 立て札を 立てても入っち来る 悲しみもある
  そこでいちいち泣いちょったら 涙はいくつ あっても足りないよ」

おじさんありがとう。今度タクシーを呼んでもいいかと聞いたので「い
いよ」と答えたが彼女は郊外のある病院の寮に住んでいた看護学校の生徒

であった。

カラー詩笑って生きてん 092

本当に彼女が呼んでくれたとき、熊本のお母さんにこのことを話したら
「良かったね」と言ってくれたと~・・・と言って彼女は看護学校の学

生で3月に卒業すると言った。
その後、彼女は色紙をもらって以来、いいことが続いたと紫色の小さな

びんせんに思いをつづって送ってくれた。
就職先も地元熊本に決まり一生懸命、働いていますと1年に一回ほど頼

りをくれた。
色紙をもらって以来、人生が変わった気がしますといいことが続いてい

ることを知らせてきた。
新しい恋人ができたこと。そして今度の結婚することが決まったこと。

次はきっと子供が生まれたことを知らせてくるんじゃなかろうかと思っ
た私であった。

その私の色紙で人生がいいほうに転がり始めたという手紙はいずれまた
このブログで紹介したいと思います。


人生の長さ

2012年 02月22日 03:03 (水)

逕サ蜒冗ャ代▲縺ヲ逕溘″縺ヲ繧・049_convert_20111125025736

2012年2月22日 もうすぐ震災から1年が来る。
昨年、年末から年賀状の注文が多くなければならないのに異変が都内の印

刷屋で起きた。急に喪中のハガキが多くなった。
そこにはあの日があった。

「妻が三月十一日に永眠しました」
「姉家族が震災で・・・」

「妻を・・」
「息子を・・・」

「おばあちゃんを・・」
「嫁を・・」

「娘を・・」
「孫を・・」

差出人の住所は釜石・南三陸・石巻・仙台と連日テレビで知った地名ばか
り。この話を私は聞かされた時、喪中ハガキの向こう側にいくつもの物語

があると思った。残された人の気持ちを思うと心が痛んだ。
だがこの話を聞くにつれ私たちにわからない、伝わらないことがあるので

はないかと思った。マスコミが本当に自分の足で取材してもっと国民に知
らせなければならないことは、喪中ハガキも出せない震災孤児がいると言

うことだ。
そう思うと人生の長さって誰が一体き決めるんだろう。

これが不幸と思うか、生き残ったから幸せと思うか生き残った人たちが
決めて行くのではないだろうか。

       参考資料(西日本新聞)

次回は4~5日後、不幸を幸せに転がした女性の話をさせて頂きます。




あわてない!

2012年 02月18日 02:32 (土)

とんぼ

2012年2月18日 待ち合わせのため博多南駅のバスに乗ると、5人
の乗客が乗っていた。

私の斜め後ろのおばさんが運転手の所に行き、あと何分で着くかと聞いて
いた。15分ぐらいですと言うと私の前に座っているおじさんに15分と

告げていた。
次の駅で3人降り私たち3人だけになった。するとバスは新幹線付帯道路

から右折し団地の中に入った。すると後ろのおばさん、また立ち上がり運
転手のそばに行き、まっすぐ行くのじゃないの?と尋ねた。

団地を過ぎたバス停でもう一度、聞いていた。どうも急いでいるみたいで
あった。博多南駅に着くとあわててバスから降り、改札口へ二人は走った。

するとすぐ出てきてタクシーに乗りまたもと来た道へ逆走して行った。
おそらく博多駅行きと博多南駅とを勘違いして乗ってしまったみたいであ

った。

カニ

以前にも同じような場面があった。
博多駅前から山手の老人施設に送った人が何をあわてているのか急いでく

れと言う。帰りのラッシュのど真ん中6時から9時ごろまでつかえている
3号線。あまりせかせるので「お客さん、老人ホームに門限はあるのです

か」と皮肉をこめて言うと「門限は無いけど早く帰らないと酒飲んできた
のが匂いで受付にばれるったい」と理由を説明してくれた。

なんとか、かんとか言いながら無事送り届けた私は帰りのタクシーの中で
「そんなに急がなくても お迎えがくるのに?あわてんばい」とコトバを

残し福岡市内へと戻ったことを思い出した。

お湯のプレゼント!

2012年 02月14日 05:04 (火)

012年2月14日 先日近所のAちゃん(小学2年)とYちゃん(小学
1年)がバレンタインのプレゼントと言って手作りのクッキー(上にチョ

コレートを塗ったもの、小さな星粒みたいなものをかけたもの)をもって
やってきた。



クッキーは私が作ったの、チョコレート乗せたのがYと,Aちゃんが教え
てくれた。昨日会ったらもう食べた・・と聞かれたので14日がきたら

食べるねと言うと、早く食べればいいのに星粒かけたのおいしいよと説明
してくれた。

家に帰るとテーブルの上に誰が持って来たのか、チョコレートが増えてい
た。13日は姪とその子供・おいの嫁とその子供・妻と妻の妹に誘われ姪

の運転で天拝のお湯へ、そしてバレンタインと言うこともあってバイキン
グ形式のヘルシーデイナーをおごってもらった。妻がカロリーを考えてか

少し運んできた。もの足りなかったので今度は私がたちバイキングの居並
ぶキッチンへ行くと、甘いケーキなども置いていた。

食事はいいが甘いものに目の無い私はたくさんパレットに乗せテーブルへ
もって帰ると妻から怒られた。カロリーが高いから少しにしていたのに・

・と
腹いっぱいたべたのか帰るときはおなかが重かった。
天拝のお湯をあとにするとき詩が浮かんだ。

「天拝の ゆったりのんびり湯につかり 命あらうも悪くない」
そんな詩を山の寒い霧景色の中に残し家路についたのであった。

                     

おばあちゃん大丈夫!

2012年 02月10日 06:02 (金)

2012年2月10日 「おばあちゃん 大丈夫!」と山から下りてきた
Mさんが車から降り玄関にかけよると・・・

neko

前回大雪で帰りが遅くなったMさん夫婦がおばあちゃんと連絡が取れず一
抹の不安を抱え玄関に駆け寄ると、中からおばあちゃんの危険な状態を知

らせるコロの鳴き声であった。しかも尋常ではなかった。ドアを前足で飛
び掛りたたいていた。Mさんは異常に気づき急いでドアを開けた。

「おばあちゃん」と叫びながら中に入るとトイレの前に倒れているおばあ
ちゃんがいた。その側にネコのミーがおばあちゃんの胸あたりを温めるよ

うに寄り添っていた。
すぐにおばあちゃんを抱えMさんは病院へと駆けつけた。深夜の緊急病院

であった。その時は時計の針は翌日の朝をさしていた。それからおばあち
ゃんの弱った体は元に戻るのに2日ほどかかった。


犬君の飾らない

おばあちゃんはMさんが出かけた後、トイレに行き、出てきたところで杖
がすべり倒れた。家の中とは言え、その日は大雪が降っていた。外の気温

は氷点下、それもMさん夫婦が帰ってくるまで10時間あまり90歳の病
弱の体は冷えに冷えきっていた。意識も寒さでもうろうとしてきたが、そ

れを支えたのがコロとミーであった。
おばあちゃんの背中にぴったりとコロが張り付き、胸あたりをミーがしっ

かりと暖めていた。
思えばコロは孫がもらってきて飼っていたが中学の部活が忙しくなりおば

あちゃんが代わりにそれ以来に孫に見放されたコロの面倒をみていたので
あった。かなりの高齢であった。そのコロが一生懸命体を温めてくれたと

よくなったおばあちゃんが話してくれた。そしてネコのミーはおばあちゃ
んが川原で捨てられていた子猫を拾ってきた。それがミーであった。

人の世界に恩とか感謝というコトバが薄れてきた時代に東大にも熟にも行
かなかったこの犬とネコは恩とか感謝という二文字をどこで習ったのだろ

うか?
Mさんからおばあちゃんが退院してきたとき、聞いた話に私はコロとミー

に卒業証書を贈りたかった。

コロとミーの恩返し

2012年 02月06日 06:07 (月)

2012年2月6日 大雪が九州まで押し寄せた2日の日だった。
私の近所のMさんは大雪が何日か続くということで福岡県と佐賀県の県境

にある会社が開墾した山の畑に雪の中無理して奥さんと登った。
昨年秋に社長が、いのししを人からもらい山の畑に小屋をたて飼っている

Flower1-005.jpg
からだ。えさをやりに登ったのであった。2日分はあるが2~3日続くと
予報では言っていた。だから数日分のえさをやろうと無理して登ったのだ

った。
家では90歳になるおばあちゃんが一人寝ていた。

改良しトイレのそばに部屋を作った。トイレには一人で行けるが、転んだ
ら自分一人では立ち上がれない。それほど骨が弱っていた。

骨が弱く何度も病院に入院したこともある。日ごろデイケアに行けるまで
回復したから自宅から杖と手押し車があれば、トイレもデイケア送迎バス

まで一人で移動ができていた。
そんなおばあちゃんを残しMさん夫婦は山へ出かけた。

ところがMさん夫婦は通いなれた道ではあったが国道にチエーンをつけて
ない車、何も装備してない車、雪の対応ができてない車のため前に進め

ない。いつも1時間半か2時間で着くはずの山に4時間かかって登りつ
いた5時ごろであった。途中混んでいたのでおばあちゃんに電話をかけ

たがでなかった。
おそらくトイレでも行ってるのだろうと思っていた。家を出たのが午後

1時ごろ、行き帰り4時間の時間をとったって午後5時には帰りつくと
思っていた。ところが雪に慣れてない横着者たちに罰が降りた。車は渋

滞。何台かは側溝に車輪を落としていた。着いたのが午後5時であった。
山の小屋にはお茶も沸かせるし、泊まることもできるし、社長の別荘に

は風呂だってあった。でもおばあちゃんが気になった。
もう1回電話するが応答がない。

不吉な予感がしたMさんは何度も携帯をかけるが応答がないのだ。
お茶を飲むのも取りやめ二人は山をおりた。ところが雪はますますひどく

なるばかり山道から国道まで出るまで道路と谷の区別がつかず国道まで出
るのに1時間かかった。国道に出ると車は少なかったが凍結し始めていた。

やはり普通のタイヤを履いた車は山肌に突っ込んでいた。道路の端に止
まったままの車もいた。東北、北海道ではさほど驚くことでもないが福岡

市内でも5センチ積もれば大パニックをおこすのである。車は道路の真ん
中に道路の端に止めたまま運転手がいないのはザラ、バスまで間引きする

ほどのパニックになるのである。これが山の中、車が進まぬのは当たり前
ゆっくり、ノロリ、ノロリと帰り家にたどり着いたのが午後1時近く家を

出て12時間近くかかったのだ。家にたどり着くと玄関にコロが飛び掛り
おばあちゃんの危険を訴えていた。

犬君の飾らない

まだ長く続きますので次回に続きを書かせていただきます。

2012年 02月02日 04:08 (木)

2012年2月2日 前回「バカもの」「誰のために」に多くのコメント
が寄せられ、3つほど心に残ったものを今日は紹介いたします。

総トータル「笑って生きてん」500万検索・「タクシー詩人」15万検
索の読者にどうしても紹介したくイニシャルで紹介させていただきます。

「父ね~」 Yさん

父はやさしい人でした。子供が大好きでしたから、甘やかされたのでしょ
うか? 体が弱く5歳を過ぎたころから、「もうだめだー死んじゃう」と

言われながらまだ生きてます。
父のおかげで今があります。感謝を表したいけどどうしたらいいのかなァ。

と言うコメントを頂きましたのでYさんに 「閉じたページの隙間から
 あなたの笑顔がこぼれます」を掲載させていただきます。

逕サ蜒冗ャ代▲縺ヲ逕溘″縺ヲ繧・049_convert_20111125025736

「やさしい人」COさん

父はやさしい人でホームレスおばさんに、毎日ごはんをもって行ったり、
その他もろもろ、そこまでしなくてしなくてもいいと思っても他人にやさ

しい父でした。子供ごころにそう思いました。
そんな父だからこそ、今もみんなから慕われているんだろうな・・・と

最近思うようになりました。

  短いコトバですがやさしさがあふれてきました。そこでCOさんには
  お父さんにこのコトバを送くってください。
  
  「お父さんの暖かさ、優しさは私がうけつぎ 今度は私が子供へ
    そして孫へ これからも素敵に生きてください お父さん」

カラー詩笑って生きてん 014

「きびしい男(ひと)」 Mちゃん

IMG2009120015.jpg

私は父を思い出すたび心がほっとします。とても厳しいと評判の父でした
が思いやりや愛情は人一倍でした。

うちの子も、よその子も同じように扱い、いつもにぎやかな人でした。
いたずらすると「ばかもん!」と一渇する声がとんできた。

お正月の書初め嫌いでした。最後は涙と墨で顔が真っ黒になり、その泣き
顔を見て笑う父がいつもいました。

今は懐かしい一コマです。波乱万丈の父の人生でしたがそれを見て育った
私は父の背中が教科書でした。

天国から「バカモン!」と言う声が聞こえてきそうです。

  Mちゃんのおとうさんは偉大な人・大きな山のようにおもえました。
  今も大きな山から見守ってくれていると私は思います。

Nature2-001.jpg






上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。