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誰のために!

2012年 01月29日 02:45 (日)

2012年1月29日 「笑って生きてん」前回のコメントがブログか
らスマホーから携帯からと子育て世代の輪が広がり投稿も多くなった。

Nature2-003.jpg

忙しくコメントのお返しは当コメント欄からお返しいたします。
「ばかもの!」に対して携帯からのメール投稿を今日は紹介いたします。

カラー詩笑って生きてん 065

新年会帰りのおやじは、少し酔っ払っていた。今日は帰るなり勢いで僕た
ち姉弟がテレビを見ている部屋に来て、姉の方を見て「誰のためにご飯食

べてるんだ」と言った。姉は「私のためだよ」と答えた。
「何!透(とおる)お前は誰のためにご飯を食べてるんだ」と聞いたから

「自分のために食っとるよ」と答えた。
おやじは{「何!」と更に大声を上げようとしたとき、隣の部屋で聞いて

いたおふくろが「あなた、まちがっとろが~」「何でや」とおやじ!
「お前は誰のおかげでメシを食べられると思っているんだ。と聞けばよか

ろうもん」と母親の一声で間違っていたのに気づいたおやじは・・・
「気をつけろ!」とすてセリフを残し自分の部屋へ入り込み布団にもぐり

こみ「わっはっは」と笑っているのがこちらの部屋まで聞こえてきた。

おやじにとっては楽しい新年会であったと思う。・・とメールが送られて
きた。その他、幼いころのお父さんの暖かさ、威厳、拳骨(げんこつ)

自分の思い出をメールくださればご紹介もいたします。 一ノ宮けんし
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ばかもの!

2012年 01月25日 03:53 (水)

2012年1月25日 大牟田線の電車の側道を歩いていると右側のわき
道から黒いギターケースを肩にかけた青年が出てきて私を追い抜いた。

Nature1-015.jpg

追い抜くとき、「おお、今日はライブね!」と声をかけると練習ですと答
えた。

「そう、練習してライブのときは一番に彼女に聞かせんと、いかんね」と
言うと「彼女はこの間のライブで聞かせました」と歩きながら答えた。

「そうしたら、お父さん、お母さんに今度は聞かせなたい!」と言うと彼
は家庭のことを私に話してくれた。彼が話してくれたことによると・・・

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先日、夕食のとき、いつもはおとなしいお父さんがめずらしくお母さんを
怒った。僕も妹もご飯を食べながらどうなるのだろうと二人を見つめた。

口数の少ないお父さんがこぶしを握り締め、お母さんに向かって怒った。
右手を上に上げ、お父さんはきっと「このバカモノがァ!」と言おうとし

たのだと僕は思った。
ところが日ごろ怒り、なれないお父さんから出たコトバは何と!・・・

「このバケモノがァ」というコトバであった。
「それからが大変だったと~、一週間お父さんは口を聞いてもらえんと

~」「どうしたらいい、おじさん?」と聞いてきた。そこで私は
「執行猶予が切れるまで、待ってもらわんといかんね」

と言って笑いでごまかし二人で笑いながら電車の駅で分かれた。
増税関連の国会が始まった。また防衛大臣がコトバを間違えた。

大変なことにならなければ良いが・・・と雪のちらつく日思った
のであった。

支援!

2012年 01月21日 02:36 (土)



熊本の高校で養護教諭をしているA先生(32)、長期の支援は大変だが、
九州の教え子たちの寄せ書きに励まされ派遣期間がきれる3月まで生徒たち

の傷ついた心に寄り添っていくと言う。
宮城県教育委員会によると震災で19人の教職員が亡くなった。被災した子

供たちの心をケアするため他県の自治体に教員派遣を要請し、看護師資格を
持つA先生が熊本から長期派遣で来たのであった。

松島市のこの高校では4人の生徒が犠牲になったと言う。
今でも不眠で悩む子供たちのケアに飛び回っていた。

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そんな時、熊本の高校の生徒たちがくれた写真や手紙が励ましてくれると
言う。その中に退学した生徒から来た手紙があった。

ボクは今、通信制高校に転入し大学受験を目指していると言う。追伸で・・
「がんばって、また手紙を書きます。先生もがんばってね」

と言う手紙に私が励まされ、今度は私が被災地の子供たちをはげましていますと言
う。このようにきずなとは日本人同士がどこかでつながっていることを言うので

はないだろうか、これが支援ではないだろうか。
国会で立派なことを言う前に今励まして欲しい。

                     (参考資料・西日本新聞)

きずな!

2012年 01月16日 04:05 (月)

2012年1月16日 

私の心を壊した東北大震災・見るも無残な姿に私は数年間立ち直れそうに
ないとそう思っていた。なぜなら知った人があまりにも多かったからだ。

笑顔がいいね

その心を立ち直らせてくれたのが逆に東北の人たちであった。それも1枚
のハガキであった。三陸鉄道「走る列車内!個展」を1ヵ月半、列車を改

良し走らせてくれた。三陸鉄道の方、宮古駅に大きな看板を上げてくれた
人、陸前高田町など沿線の特産品・行事・イベント・歴史に詩を書き支援

していただいた岩手県知事・地域振興課の方、新聞社の方々など礼を言っ
ても言い尽くせない人たちの安否。電話を取ることも、手紙を書くことも

できなかった。
その安否していた人たちから年賀状がきたのであった。うれしかった。

アンテナショップの女の娘からも来た。
支援していただいた朝日新聞・西日本新聞からも現地でがんばっている人

たちの紹介をいただいた。
これで元に戻ったわけでもないが私が復興へ向けて動く決心がついた。

今日から本格的にブログに書く決心がついた。
その第1弾が・・・「きずな」である。

笑って生きてんみどり)(

「きずな」

つながり支えあうコトバの力とは!

風が強い海辺の町に郵便配達人のAさん(33)はいた。
あの日岩手県大槌町は津波に逢い郵便物を届けていたあて先の半数が姿を

消したと言う。
記憶を頼りに人を捜し、避難所を尋ねふるさとの切れてしまった糸をつな

ぎ直す日が続いた。
「あれはまじめだからね、どこ回って歩いても声かけてっから、00さ~

んって、元気でるよ」と仮説住宅で暮らすBさんは笑った。
配達員のAさんもまた仮説住宅に住んでいる。なぜなら彼も家族を失い一

人になったからである。
ハガキを握りしめ登る坂道、ヘルメットからのぞく額に流れる汗が光る。

東日本震災がもたらした光景に私たちは声を失った人たちにどうコトバ
をかけていいのだろう。でも伝えたい思いを、信じたいコトバの力を、

あなたとつながるために、この若い郵便配達人Aさんは今日も走っている。
被災地の人たちが立ち上がっている姿に励まされ私の活動が今日から始ま

った。東北のみなさんありがとうございます。デパート個展で支援してく
ださった岩手県・宮城県・福島県のみなさんありがとうございました。
                    
                     (参考資料。西日本新聞)



新年会

2012年 01月12日 06:01 (木)

2012年1月12日 ひょっとこの新年会があった日、飲むからと駅ま
でバスで行こうと、バス停まで歩いて行くとパパと女の子(5歳くらい)

の先客がいた。

誕生日おめでとう

どうも誕生日のプレゼントを買いに行ってるみたいであった。
耳をすまして聞くほどでもなかったが2人の声が目の前から入ってきた。

「パパはアーちゃんが一番、すきだよ」
「ふーん、ありがとう。アーちゃんもパパが好き~」

「ありがとう。一番好きなのはやっぱりパパかなァ~」
 と自信たっぷりにパパが言うと・・・

「ううん、銀すしのトロー」
と言った時、バス停の木の陰に隠れて私は笑った。

ひょっとこの新年会に着く前からひょっとこ顔になり笑った。

パパの顔を思い出せば新年会よりおもしろかった。

2012年の新年会の日であった。

えらい人!

2012年 01月07日 05:16 (土)

2012年1月7日 前回「野田る」と言うコトバを紹介したらパソコン
・携帯からたくさんのコメントが来た。ついでに管総理・鳩山総理を高校

生はなんて読んでいたのか紹介しましょう。

Nature1-011.jpg

野田総理・「野田る」言うだけ言うけどちっとも前に進まぬこと。
管前総理・「管る」 自分だけ目だって人がついてこないこと。

鳩山総理・「鳩る」 言わないでいいことまでしゃべって失敗すること。
・・・と高校生の間で流行していた。えらい人たたえたコトバである。

カラー詩笑って生きてん 104

             「えらい人」

先日、新年会があり消防署の署長・2市3町の広域消防司令までして定年
退職した人と知り合いになった。

私が「すごいですね」と言うと「何がすごいですか」と言って彼が話して
くれたことは・・・・

ボクのおやじは司令でも署長でもない町の消防団員だった。野良仕事しな
がらいざ火事というとき農具をほっぽいて駆けつけるただの消防団員でし

た。そんなおやじがボクが小学校6年生のとき、近所の火事のとき家の中
の幼い子供を助けようと周りの反対を押し切り子供をかばって自分は焼け

ただれ死んだと言う。
死んだとき周りの人が「バカだね!」「あほだ!」と言う評価をしたが褒

めてくれることはなかった。
そればかりか急に生活が苦しくなった。ボクまでが、おやじを憎む気にな

って行った。なぜならその後、おやじが保証人になっていた人が夜逃げし
取り立て屋が連日くるようになり、おばあちゃんはそれ以来寝込み、病人

を抱えた母は土方の仕事に行き、現金収入を得ようとしたがそんなことで
は借金返済には至らない。

家庭は取り立てに追われ地獄でした。このような事があってからおやじを
憎むようになりました。

借金取りたて屋に2年間責めたてられ、おばあちゃんが先祖伝来の家屋敷
を売り、私たち家族は畑の中の小屋で暮らし始めたのです。

ますますおやじを恨みました。
母親は土方、ボクも新聞配達をして家計を助けていましたが苦しくて苦し

くて何度死のうと思ったことか、そして更におやじを憎み、恨み、ののし
り、つらさを隠そうとしていました。

そして、ののしって、軽蔑していた消防の仕事に定時制を卒業してついた。
消防団と消防署の違いはあるが恨み続けたおやじと同じ道を気がつけば歩

いていた。
そして恨み続けた、憎み続けたおやじをすごいと思ったのは私が署長をや

め広域消防司令になったとき、視察や講演で他市や郡部の町を訪れたとき
そこの長老が00司令は□□地区出身ですかと聞く。「はいそうです」と

答えると、そのおじいさんは涙を流しながら消防団のOOさんに子供を火
の中から助けてもらった××です「あの時はありがとうございました」と

言って帰りに山で取れたシイタケですと言ってお土産を持たせてくれた。
また別の地区ではおばあちゃんが家が火事になり、すべて焼け、着る物を

近所の人や知人からもらったが下着がないと言うと00さんはスーパーま
で行って自腹で下着を買ってくれたんですよ・・と言って裏の畑で取れた

大根をお土産にくれた。それから年越すコメがないだろうと家からコメを
もってきてくれたと言う。

ボクはおやじの「えらさ」「すごさ」を署長を辞め広域司令になって初め
て知りました。・・・と話してくれた。

正月早々胸が潤んだので皆さんに紹介しました。

さあやちゃん

2012年 01月04日 04:08 (水)

Flower1-005.jpg

2012年1月4日 先日息子家族とやきとりやに行った。私たちの横に
もう一家族、先客がいた。私の姪の子(3歳)にゲーム機を持って遊ん

でやっていた先客の子(女の子・小学3年生)がいた。
ちなみに姪はやきとりやの娘でカウンターの中をお手伝いしていた。

この女の子、ゲーム機の中の花や動物の写真を撮ったときのしぐさ・動
作が頭の中にあるらしくそのときの状況動作を事細かに説明してくれた。

そして好きな写真をパソコンにも取り込めると言った。でも自分は未熟
でママなら取り込めると言った。

ゲームの扱いもおしゃべりもうまいこの女の子に、この写真をおじさん
のパソコンに送れるかなァ・・と聞くと私はうまくできないがママなら

うまくできると言った。
そしてこのママ携帯で「笑って生きてん」を出し、後で読ませてくださ
いと言った。

今のママたちは携帯でゲーム機感覚で私のブログ「笑って生きてん」を
見ていると言った人がこの正月4人いた。

携帯を動かす指も早ければ、読むのも早い。このさあやちゃんが覚える
のが早いのはママたちのせいであった。

たけのこ

今、高校生の間で「野田る」というコトバがはやっていると言う。
言うことは言うがちっとも前に進まない人のことを総理大臣をもじって

「野田る」と言うそうだ。
議員削減はしなかったうえに震災後やっと決まった50万円削減が12

月から元に戻っていた。公務員宿舎凍結と国民やマスコミの目をそらし
2ヶ月後に宿舎建設を行っていた。国家財政が破綻したから増税しま

すと言うが、公務員改革法案は廃案、尚国民は知らないが先月の国家
公務員のボーナスは上がっていたのだ。

大阪府は財団・法人の役員の退職金を4600万から650万に削減し
た。公務員の数もへらした。給与も削減した。いたみ空港と関西空港の

統廃合の最後の詰めに入った。改革がどんどん進んでいるのに何で「野
田総理」はできないのだろうか?

このブログに訪問している政治家のみなさん。そう思いませんか。
そんなことを考えさせられた2012年の正月でありました。
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