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小さなママ 

2011年 11月27日 03:53 (日)

2011年11月27日 友達(58歳)が亡くなり悲しみに浸っている
と言うYさん。お父さんを亡くしたというBさん。また思い出すと言うRさ

んプライバシーに関するので名前など出せませんがあなたに贈る歌です。
そして今日のお話は、そういう悲しみを乗り越えた家族の物語です。



「小さなママ ありがとう」

00市の講演会の帰り役員さんから居酒屋へ誘われた。
そこで娘が来年春、結婚するがどんなコトバをかけてやったら良いか聞

かれた。
そして彼が話してくれたのは・・・

13年前、当時、娘が小学2年(8歳)息子が保育園(5歳)のとき、
母親を事故で亡くしたと言う。

それからと言うもの会社に事情を言って残業、出張をなるべく減らし極
力、家族3人でいる時間を大切にして来たと言う。

だが私でなければと言う出張や緊急の残業などもあった。
そんな時は母に電話し、残業で遅くなる。出張で2日ほど帰れないとお

願いし、子供たちにはおばあちゃんが今晩、泊まるからねと連絡しこな
していた。我ながらうまくやってると思っていた。

ある日出張から早く帰り自宅に帰るとおばあちゃんと2人きり、久しぶ
りに2人で食事をした。

そのとき、私が「子供たちも慣れたのか、うまく行ってるね」と言うと
母は「そうでもないのよ、Yちゃんがお遊戯会のあっつた日、ママと歌お

うというプログラムがあるから、行かないとダダをこねたの、前の日か
ら愚図っていて、当日は泣き出すしまつ。

どうしょうか、今日は行くのはやめようかと迷っていたらしい。
そこへお姉ちゃんのSちゃんがYちゃんの前に来て、弟に今日からYちゃん

とパパのママにお姉ちゃんがなってあげる。
今日はお姉ちゃん学校が休みだからついて行ってあげる。だから泣くの

はやめなさい。と言ってYちゃんをなだめすかしてお遊戯会に連れて行っ
たのよ・・と母から話を聞かされ、私は小さなママに拍手を送った。

女が来年春、結婚するという。
そこで一ノ宮さんなんてコトバをかけてやったらいいですか。

ありふれた結婚式のコトバでなく苦労かけた娘に感謝する言葉が欲しい
のですと、お父さんは言った。

そこで私は、飾ったコトバはいりません、素直に言えばいいのですよ。
「小さなママありがとう」ってそれで娘さんには十分伝わりますよ・・

と教え、こんな詩を書き贈ってやった。そして居酒屋を後にした。

「小さなママ、感謝の気持ちをこめて 
         言わせてください ありがとう」

                  一ノ宮けんし
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願い事がかなった!

2011年 11月22日 12:43 (火)

2011年11月22日 前々回願い事のお話をしたときAちゃんから、
花畑で妻が願い事な~い、と聞かれ、あるかな、えーと、何があるかな

ーと考ていたら。おばちゃん考えることないやろー、おばちゃんの年頃
やったら、もう少し若返りたいとかあるやろーと笑わせた話をしたが日

本シリーズでホークスが優勝を決めた日、Aちゃんは願い事の宿題であ
った。答えを持って帰ってきた。自分の家に着く前に我が家に入ってき
て答えを手渡してくれた。

三陸鉄道

それは妻のはオレンジ色に紐のついたお守りとマジックで書かれたお守
り袋。おじちゃんとと言ってくれたのは緑のお守り袋に黄色の紐がつい

ていた。
おばちゃんのには「もう少しきれいになりますように」おじちゃんには
「ハンサムになりますように」と書いて中に入れていると言う。

ありがとうと言って返したが早速その夜、ご利益が現れた。
日本シーリーズでホークスが優勝したのであった。



そして前回の「医療には限界があるが あなたの笑顔には 限界はない
よ」とがんばっている人たちから喜びの声や挑戦してみるというコメン

トをいただいた。
この詩はある看護学校で先生が当時、テレビ2つ、新聞2つが個展の報

道した中で、朝日新聞がタクシーの中での客との会話を取材し紙面4文
の1を使い、3角関係で悩む女性に書いてやった詩のことを報道した。

この新聞を先生が教室に持って行き、看護学生にこういうタクシー運転
手がいますが知ってますかと40名の看護学生に聞くと40名のうち6

名が知っていた。そしてそのうちの1人が昨日、個展に行ってきました
と答えたと言う。そこで急遽、看護学校で個展をするようになったと伝

えてきたが私はこの時、ある銀行で個展をしていた。一週間で終わる予
定がもう一週間してくださいというので延長を承諾した後であった。

それに障害者の学校からもぜひと言ってきた。
どちらも断わったが身障者の方はミュージシャン、ラジオのパーソナリ

ティなどが自分たちで飾りつけ リスプレするから貸してくださいと言
うので身障者のこどもたちが私に贈ってくれた。画や織物などに詩をつ

けた30枚を。看護学校は紹介した詩のほか・・・
「ガンが消えた 命がもらえた その妻から僕は 笑顔をもらったよ」

「ドクターの もう一方の手があなたですよ」
など新たに書いた15枚ほど足して30枚ほど貸した。

そのうちの・ガンが消えた・・・はその後テレビで放送された。
このように一枚一枚に物語があり、真実があるのです。

そして皆様がひとりでも立ち直りジャンプされることを願って今日も
詩を作っています。地位も名誉もお金もありませんがこの詩から歌が

生まれたのも事実だし、子供たちが今も歌っているのも事実です。
このブログがみなさんの励みになればさいわいです。
      
                2行詩人 一ノ宮けんし



病と闘ってる人へ贈る歌

2011年 11月19日 03:07 (土)

病と闘っている人・看病している人・がんばってる人へ、当ブログ
をごらんになってる皆様に贈りたいのですが訪問者は多い割には

パソコンが苦手なためネットで送れず、ここに掲載し作品を贈りま
す。あなたの名前を載せたいが、イニシャルも含め個人情報にふれ

ますので自分のことだと思ってお受け取りください。

医療には・・・
尚、12月までイベントで時間がとれず申し訳ございませんがコメ
ントのお返しは当ブログからさせていただきます。

2011年11月 00市の政経塾へ講演に行ったとき。いつもお手
伝いしてくれる女の子が元気がない。「どうしたの?」と尋ねると

後でお話がありますと言うので講演が終わったあと近くの喫茶店で
逢った。

そして彼女が涙を流しながら話してくれたことは、彼が8月に交通
事故に会い、意識不明の重態になり一週間看病したが亡くなったと

いう。彼女は亡くなった悲しさより事故の前日にケンカをした事を
悔やんでいた。

デートの約束をしても遅れる。すっぽかす。これじゃ結婚の約束を
してたけど考え直す。しばらく会わないと強い口調で巻くし立て告

げた翌日であった。こんなになるのなら、言わねばよかったと後悔
しても口を開けるたび涙が流れるのであった。

いつもは笑顔のよく似合う娘であったが今は悲しさが顔に出ている
のであった。

そして先月、このままではいけないと彼と時々、行っていた居酒屋
へ行った。いつも二人で座ってた場所に座り、彼のキープしてた焼

酎を出してもらい焼き鳥をつまみにグラスを口に持って行き、一口
飲んだところになじみの従業員が出勤してきた。私の顔を見るなり

Aちゃん大変だったねと声をかけてきた。彼のことも新聞や、常連さ
んから耳にしたのか事故のことも知っていた。

そしてもうひとり、彼と仲のよかった従業員が入ってきて彼女の顔
を見るなり「Aちゃん、Yちゃんから預かりものがあるよ」と彼から

の預かり物と手紙を受け取った。彼がAが来たら渡してくれと言って
生前あづけていたのであった。

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預かり物を開けるとそこにはイニシャル入りのリングがはいっていた。
そして手紙の中身はAいつも約束破ってごめん。結婚しようと約束した

日から会社の社長に言って残業をまわして貰ったり、友人の仕事を手
伝ったり、思いがけない仕事がきたり、約束の時間と判っていたが結

婚指輪を贈ろうとがんばっていたんだぜ、ようやく買うことができた
から10月のAの誕生日に渡そうと思っている。

一年分の仕事をもらっていたのでもしいけない時はSちゃんに預けと
くから受け取ってくれ、もし俺が行けたらそのときは俺から渡す。

愛するAへYより

と書かれた手紙とリングを渡されたと彼女は私に告げた。その彼も
彼女とは別の会社であったが創業祭で個展をするとき、手伝っても

らっていたから知っていた。慰めの言葉もなかったが彼女の笑顔が
とてもよかったから・・・・

「君の飾らない 笑顔がいいね」と色紙に描いてやるのが精いっぱ
いであった。
              
            2行詩人 一ノ宮けんし

願いごと

2011年 11月15日 03:21 (火)

とんぼ

2011年11月15日 私は部屋でパソコンをいじっていた。妻は小さ
な庭の草取りをしてた。
そこへ隣のおしゃべりAちゃん(小学2年生)が勉強部屋から顔を出し「お
ばちゃん、何してるとー」と声をかけてきた。

あらっ、あんたーおったのー、おばちゃんは花畑の草をとってるとー」
「あんたこそ、なにをしてるとー」と妻が聞き返すと「宿題してるとー」

「おーえらいね!宿題してるの」と日ごろ隣は共働きのため私のうちに
鍵を忘れて部屋に入れない・トイレを貸して・雷が鳴るから怖いとチョク

チョク我が家にも出入りし妻はおばあちゃんみたいな役である。
そのAちゃんが「おばちゃん、宿題であした、この封筒に願い事を書いて

もって行かなきゃならんとー、おばちゃん何かなーい」と聞いていた。
妻は「パパとママから聞けばいいじゃない」と言うと「おばちゃんでも

いいとよー」と言ってAちゃん、妻から願い事無理やり引き出そうとして
いた。妻は「願いごとねー、何があるかねー、えーとっ、えーとっ」と考

えているとAちゃんが「おばちゃん、そんなに深く考えなくていいとー」
「おばちゃんの歳なら、若返りたいとかあるやろー」と言った時は妻は花

畑で私はパソコンの前で大笑いをした。そう言えば私も願い事ではないが
数日前に淡い恋を期待したことがあった。
おかめ

福岡市の郊外の住宅地をある用事で歩いていた時、小さな四角を右に曲が
ったとき前方左の2階ベランダから私の方を見て手を振ってる女性がいた。

このあたりには知った人はいなかった。見れば40代ぐらいの熟女であっ
た。私はどきどきしなが、変な期待を胸に手を振る女性のほうへ20歩ほ

ど歩いてほのかな願いも吹っ飛んでしまったことに気づいた。
なぜならこの熟女、手を振っていたのでも、私を誘っていたのでも無かっ

た。物干し竿を拭いていたのであった。私の願い事ははかなくも散ってし
まった。そして目の悪くなったのをつくづく感じた私であった。

おめでとう

2011年 11月12日 05:46 (土)

2011年11月12日

スロバキヤの友人Pさんに先月末、男の子が生まれた。何かお祝いをして
あげたかったが私にできることと言ったら詩を書くことぐらいである。
送ってあげたかったがブログ訪問者は多いがパソコンは苦手である。そ
こで私のブログに載せることにした。






「Bちゃんが生まれた この感動は一生忘れない おおきくな・・・れ!」
                             けんし 
           
       2011・10・28 Pママより                    

「おめでとう」

同じように祝福したい男の子がもう1人いた。その子の名前もママの名前
もわからない。

「覚えていますか?一ノ宮さん。一年前にタクシーに乗せていただいた者
です」というメールであった。    、

以前マリンメッセから博多駅までイベントの帰りに夜遅く乗せた男女の客
である。マリンメッセ・サンパレス・国際センターとこの日、ミュージシ

ャン等のイベントがあり同時に終わったものだからいつもはスイスイ行く
はずの大博通りがノロノロ運転である。

そこで客のイライラを無くそうと女性客に「お客さんの心はあったかいで
すね。いい家庭ができますよ」と切り出し「出来るでしょうか」と聞く客

に「出来ますよ。あなたは子供やご主人を大切にするように生まれてきた
ような人ですから」そして黙っている男性客に「わあー、あなたもあった

かいし、家族を守り育てていくやさしさをもっていますね」とほめていた
ら「私たちうまくいくでしょうか」と尋ねてきたので「ぴったりですよ」

更に彼女は「夢はかなうでしょうか」とたずねたので「あなたのあたたか
さ、彼のやさしさでぴったりの家庭ができますよ。」「それに夢は必ずか

ないますよ。待っていてください」・・と話ているうちに博多駅につき客
を降ろし次の客を拾うためまたマリンメッセに走っていた。

それから1年ぐらいして彼女からメールがきた。
実は私たち結婚して8年になるが子供が出来ずケンカばかりする毎日でし

た。たまりかねた主人が私の好きなミュージシャンのコンサートに行こう
と言ったそのコンサート帰りに一ノ宮さんのタクシーに乗りました。二人

とも山の中の施設で介護士をしているが疲れも溜まっていたのかつい大き
な声を出してしまう日が続きました。

それもこれも子供が出来ぬイライラから妊娠しても流産してしまうのでし
た。でも一ノ宮さんのタクシーの中で言ったコトバを信じていたら2ヵ月

後に妊娠。そして1年たち出産。男の子でした。
妊娠したときに連絡したかったのですがまた流産したらという気持ちがあ

り出来ませんでしたが無事生まれたので報告します。というメールであった。
このブログを通し御出産おめでとうございます。と言わせていただきます。

         「おめでとうございます」
                    タクシー詩人 一ノ宮けんし

若い女性の涙

2011年 11月08日 03:20 (火)

2011年11月8日

「悲しみ禁止の立て札を 立てても入っちくる悲しみもある
    いちいち泣いちょったら 涙がいくつあってもたりないよ」


午前5時ごろ親不孝通りから若い女性が乗り込んできた。一晩中飲んで踊
っていたのか酔って目の隙間から涙が流れ落ちていた。

「どちらまでですか」と聞くと郊外の方までと言った。「はい」と言って
ハンドルを郊外の方へ向けて切ると「おじちゃん、泣かせて」と後部座席

から声をかけてきた。
中州だとこの時間はママやホステスの帰る時間で自宅に帰るかホテルに行

くか2つに1つの時間帯である。親不孝は若い子の未練たらたらしい女の
子が振られて帰る時間か、店の従業員の終わるのを待って中州にまた飲み

に行くか、別れを告げられ泣いて帰る人か、夜のバイトが終わって帰る人
たちなどなどが乗ってくる時間帯であった。

どうせ泣かせてと言うくらいだから彼氏に振られたぐらいに思っていたら
「おじちゃん、聞いて!」更に泣き声が大きくなった。

先制攻撃で「どうしたの、彼氏に振られたの?」と尋ねるとそうではなか
った。彼女が涙ながら話してくれたところによると・・・

ダンプに巻き込まれ事故に会いお母さんが亡くなったと言った。

小学2年生の時、無理やり、ねだって飼ってもらったチロの目の前で事故に遭っ
たのである。チロは倒れたお母さんのホホをなめて起こそうとしたが起きなかっ

た。そこで起きるまで離れようとはしなかったと兄さんが話してくれたと言う。
私が中学に入ると部活などで世話が行き届かない分、お母さんが見てくれたと言

う。だが高校に入ると万引きで退学になり家出、2年間チロの世話をお母さんが
私に代わりしてくれたと言う。私は2年間1度も家に帰ることは無かった。

お母さんが死んだと聞いて自宅に駆けつけると、チロは私を忘れてなかっつた。
「ただいま!」とドアをあけるなり私のほうへ走ってきて飛び掛ってきた。

そして吠えた。抱いてやると舌なめずりをしてきた。よっぽどうれしかったのか
最後の力を振り絞ってあまえたのか?声と体にあふれていた。

兄さんがお前の居なくなったあとお母さんがどれだけ苦労したか、お前にはわか
るまい!お母さんにあやまれ!と叱ってくれた。

「お母さん、ごめんなさい、ごめんなさい」と一晩中ひつぎを抱いて泣いたと言
う。その晩からチロは私の布団に入り込んで寝るようになった。

初7日も済み、いったん職場に戻り、再度49日に自宅にもどると、前日、チロ
はお母さんの後を追うように老衰のため亡くなっていた。

私と寝た晩、抱きついて吠えたのは甘えたのではなく、怒っていたのだと気がつ
いた。そしてお母さんの死を見届けた私を再度、見届け死んだのである。

「11年の最後にもそばにおることが出来ず」「チロ、ごめん」と言ったあと、
「おじちゃん、もう少し大きな声で泣いていい」と言うので「いいよ」と返事

をするとタクシーの中で腹に力をいれたのか「チロ、ごめん」とまた涙を流し
ていた。こうして涙の女の子を無事家まで届けたのである。

泣きたくて泣きたくて、自宅にいてもつらいから飲んで踊ればわすれるかな
と思ったが到底むりだった。

「おじちゃん愚痴を聞いてもらってありがとう」と言って降りて行った。

そこで私はこの夜、こんな詩をかいた。

「悲しみ禁止の立て札を 立てても入っちくる 悲しみもある
   そこでいちいち泣いちょったら 涙はいくつあっても足りないよ」

                 タクシー詩人 一ノ宮けんし

遺言

2011年 11月03日 05:31 (木)

2011年11月3日 唐人町から飛行場まで40過ぎの男性を乗せた。
高速を走りますか、それとも下を走りますかと尋ねるとネクタイをはめな
がら高速を走ってと言った。

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タクシーを西公園下から高速へ乗せるとネクタイを締めながら客が「あっ、
運転手さん。相談したいことがあるんだけど、聞いてやる」と私の後ろか

ら声をかけてきた。
「私に出来ることだったら、いいですよ」と返事をすると・・・

僕は今日法事で帰るのだけど、と言って彼が話してくれたことによると、
去年の今頃、親父が福岡の病院で亡くなったと言う。

僕たち夫婦に子供1人、弟たち夫婦に子供が2人、そして僕の母親の8
人が見守る中、おやじは最後の力を振り絞って「昭一!昭一!遺言」と

私の名前を呼ぶものだから長男である僕がみんなの見守るなか親父の口
元に耳を寄せると小さな声でぼそぼそと言って息を引き取ったんですよ。

火葬場に行って待合室で母親が「お父さん間際になんて言うたと?」と
聞いたので「大したことはないとー」と軽い気持ちでしりぞけた。

そこはそこで収まったのであるが一ヶ月ぐらいしてまた母親から「お父
さん本当はなんて言うて死んだとー」と電話して来た。

そこでまた「お母さん気にするようなことではないから、心配しなさん
なー」と言って母親の電話を切ったと言った。

心配かけまいと軽くいなしたつもりがまた一月後、母親から電話。
「昭ちゃん、本当はなんて言うたとよ」「あなたが言わないところを見

ると、お父さん女がいたんじゃないとー、だから私に言われないのじゃ
ないのー」と一段、飛躍した。

そして3回目の電話。昭ちゃんが教えないなら教えないでいい。秀ちゃ
ん(弟)と相談して話し合うからと言って電話を切った。

次は弟から電話があり「昭ちゃん、母親が心配しとろうが早く本当のこ
と言えよ」と電話してきた。

そして弟は「俺はおやじに女が居たなんて思ってない」「もしかしたら
隠し財産でもあったんじゃないか」「独り占めする気ではないだろうな

ァ」今度は女の次に隠し財産が出てきて弟からも疑われる羽目になった
と言う。

先月の母親からの電話で、弟と話した結果、今度の法事で親類を交えて
みんなで話し会うことになった。

そして法事でこじれた場合弁護士を立てるという。とここまで話してく
れた客は私に「運転手さん、その法事がきょうなんですよ」「どうした

らいいとおもいます」
と尋ねられたが「突然言われても、肝心のお父さんの遺言は何だったん

ですか?」と尋ね返すと、長男の僕を枕元に呼んで最後のちからを振り
絞り一言「お母さんの味噌汁はうすかった~」と言って亡くなったんで

すよ・・と言ったので何も悩むこと無いじゃないですか。
弟さんには事実を言って、お母さんには、うそも方便と言うでしょう

「お母さんの味噌汁はおいしかった・・と言えば良いじゃないですかと
教えてやったら、何だ簡単じゃないか悩んで損した~

「運転手さん、ありがとう」と言って飛行場へ降りていった。

遺言・・・

2011年 11月02日 10:30 (水)

2011年11月2日 小児がんと闘った女の子の話を前々回はなしをさせて
頂きましたが次回は3日ごろ亡くなったお父さんの最後のコトバが波紋を呼ん
だ泣き笑いのお話をさせていただきます。

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