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怒り!

2011年 10月30日 04:37 (日)

2011年10月30日 先日、公務員制度改革の国家公務員法案が廃案に
なった。公務員給与 人勧実施、見送り決定。情けない野田内閣またもや財

務省のいいなりか!民主党の目玉であった。議員削減を5増6減案で濁し、
200人の議員削減を10年間すればこの2法案だけで増税しなくていいの

だ。それを馬鹿がくそが老人にしわ寄せの年金68歳延長、国民医療費実質
値上げ電気料金値上げ、なお復興増税、鳩山も管も野田お前までできぬのか

!このどじょう野郎!国民の怒りはつぎの選挙でしっぺ返しだ。今国民が怒
らなければいつ怒る。だからと言って自民党もこの1年間、小沢一郎、小沢

一郎と叫ぶだけで仕事をしていない谷垣総裁・石原幹事長にも数億円の税金
が使われていた。国民はもっと怒らなければ、怒ろうよ。

Nature1-011.jpg
コメント返しは当コメント欄からいたしています。

怒るといえば博多駅から母子をのせたとき、私が女の子に定番ではあるが
「いくつと聞くと彼女は6歳と答えた。

そしてまた定番であるが「大きくなったら何になるの?」と尋ねると彼女は
「大人になるの・・・」更にどうして大人になるのと質問すると「大人にな

ったら子供を怒れるから」と答えてくれた。
こんな子供まで怒り、怒るとコトバを知ってるのに国民はなぜ怒らないのだ

ろう。田原総一郎やみのもんたにやられるからだろうか?そんなことはない
彼らの時代はもう終わったのだ。自民党よりの評論か出来ない彼らの時代は

もうおわったのだ。今度は国民が怒ろうよ。

次回はこんな政治の中で死んでいった人の遺言書を笑いながら開きます。
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小児がんの母子

2011年 10月26日 06:17 (水)

2011年10月26日 仕事・免許更新・法事と忙しくご無沙汰いたしてい
ました。法事の帰り博多駅で以前タクシーを利用していただいていたマユちゃ
んのママとお会いした。今日はそのマユちゃんのお話をいたします。

花
マユちゃんとお会いしたのは小学校1年生の時、無線で呼ばれマンション下で
待っているとママが車椅子を押してやってきた。

マユちゃんを抱えタクシーに乗せ、車椅子をトランクに積み、近くの子供病院
まで乗せた。その時、病気と闘っている彼女に小さな手書きのポストカードを

励ましの言葉を沿え渡した。それが彼女との初めての出会いであった。
2度目に呼ばれたときママから、この間もらったポストカードを握りしめたま

ま診察をし先生から「これっ、なーに」と聞かれ「一ノ宮さんからもらったと
ー」と答えたらしい。

それ以来、私との会話は通じないがママを通して伝わってきていた。
無線でタクシーを呼ぶと会社から00号車が伺いますと言うと、「00号車は

一ノ宮さんだ!」と覚えていたと言う。
そして一年半ほど週に一回ほど病院通いの付き合いをした。

二年生の夏ごろ入院すると言ってママがマンションと病院を何度も往復したの
を覚えている。

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入院したマユちゃんは友達からハガキがくるのを楽しみにしてた。
「あっ、あーちゃん志賀島に行ったんだ!」「おっ、裕美ちゃん海水浴に行っ

たん!」とうれしがり、半年間は友達のハガキを楽しみに待っていたと言う。
だが半年過ぎるころになるとハガキが来なくなったという。

とても寂しがり、落ち込んで行った。
出てくる言葉も「00室の00ちゃん、居なくなった?」「00室の00ちゃ

も居なくなった、さみしいなー」と小さな声で言うようになった。
ママは何とかしなくちゃと思ったがどうすることも出来なかった。

ところが数日してマユちゃんのところにハガキが来るようになった。誰から
だろうと彼女が差し出し人を確認すると「あなたを一番好きな女の子より」

とあった。
「一番好きな女の子ってだれだろう?」「きっとユイちゃんかな!」「そう
きっとユイちゃんだー」と言ってそれからは毎日のようにユイちゃんからハ

ガキがきた。マイちゃんはユイちゃんからのハガキを楽しみにしてまた元の
ように明るくなったという。
花3

そして3年生の夏、亡くなったとママは言った。
私は頭を殴られたようなショックをうけた。

そして彼女の遺品の整理にマンションに来ていたという。
そこで意外なものを発見したとママはその場でまた涙ぐんでしまった。

遺品の整理をしていると病院から持ち帰ってきた小さな箱の中に今まで頂
いたハガキがきれいに整頓され入っていた。その一番下に一ノ宮さんのポ

ストカードと私宛に「ママへ」と書かれた真四角のかわいい封筒の中の便
箋に「ママありがとう」「ママが子供の字にまねてハガキを送ってくれて

いたのをわたしは知ってたよ。それでもうれしかった。大好きなままへ」
と手紙が入っていたんですよとママから言われたとき、私の目にも涙がに

じんできた。同時にマユちゃんを抱えタクシーに乗せたときのぬくもりが
伝わってきた。マユちゃん安らかにお眠りくださいと心のなかで叫んで

ママと別れた。県外から通うのに不便だと借りていたマンションも引き払
い帰るママの後姿が哀れにみえた。だが私の心の中にはママの笑顔とマユ

ちゃんの笑顔がいつまでも残ることだろう。

                タクシー詩人 一ノ宮けんし

ささやかな幸せ!(2)

2011年 10月20日 06:28 (木)

2011年10月21日 
「タクシー詩人 えにしフォーラム」とヤフーで検索しますと私の顔写真が出てきます。
「博多発小さな幸せのために」とヤフーで検索しますと私の生活が出てきます。

尚、コメントの返事は携帯メールなどで自殺寸前の女の子のSOS・母と夫(夫)の
板ばさみ、現実から逃亡したいと言うSOSなど境地に立っている人から返事を出しています。
2009,5,31 039
小さな幸せ!続編 
脳梗塞で倒れた母親を看病し10年間というので・・・

NHKの取材を申し込んだとき、はっきりと「いいですよ」と返事された女性が
なぜ断わったのか気になり電話してみた。

すると女性は過去の話をはじめた。その彼女の話によると・・・
県外で農業をやりながら親子4人幸せな生活をしていたそうである。

自分が22の時、父が事故で死亡。大きな農家だったので農業を女手一つで維
持して行くのは大変なことであった。

それでも母は一生懸命働いていた。そんな時、おじさん(父の弟)から大変だろ
うからこの家を出て行ってくれないだろうかと相談を受けたが母は父の思い出が

ある地を離れたく無く断わったという。しかしおじさん夫婦、更にその下のおじ
さん夫婦、おばさん(父の妹)たちまで加わり母の追い出しにかかった。

それでもがんばっていた母だが父の死から2年後、私が26の時、母は脳梗塞で
倒れたという。母の入院で家屋敷をおじさんたちにゆずり、私が働いていた福岡

の病院につれてきたのだといった。更に母親は脳梗塞で倒れて以来意識不明・
植物人間であることを告白したのであった。

「えっ!」私は驚き絶句。
しばらくして「私が取材行く前、電話したとき、色紙を大変母が喜んでいました

とおっしゃったから取材できるんだなァ!思っていたのですがそういう事情があ
ったんですね」と私が言うと彼女は・・・

カラー詩笑って生きてん 014

母との会話は私にだけわかるのです。
「お母さんタクシーの運転手さんから赤い色紙を頂き、それにはお母さんのこと

が書かれてるのと耳元でいうと目から涙が落ち、私の言ってることは聞こえてい
るのです」「朝仕事に出かけるとき、お母さん行ってきます!帰って来たとき、

ただいまと耳元でささやくとかすかにホホが動いたり、目が閉じたまま動くので
す」「こういうことが私とお母さんの親子のささやかな絆なのです」

こういう状態の母の姿をテレビで放映したくないし、NHKだから九州一円、放送さ
れたら田舎でも放送されるだろう。おじさんたちには母の姿を見せたくなかった

です。と言われたとき悪いことしたなァ・・と思い謝罪し受話器を置いた。


この親子にとってこういう会話が出来ることがしあわせであると彼女のコトバから
感じられた。こういうささやかなしあわせもあるということをこのブログを読んで

いる方たちにわかってほしかったのです。
私の「はひふへほの歌」の(ひ)は人並みでいいじゃないかです、人並みと言うこ

とがどれだけ幸せかということがわかっていただければ幸いです

                   タクシー詩人 一ノ宮けんし

ささやかな幸せ!

2011年 10月16日 11:41 (日)

愉快な仲間 009
2011年10月17日 
「博多発、ささやかな幸せと安心のために」・「タクシー詩人 縁フォ
ーラム」ヤフーでもいいですからどちらも検索して見てください。

いずれも私がネットなど出来ない時代から立ち上げ紹介してくださった
会社社長や新聞社関係者のブログです。この人たちの支援で「笑って

行きてん」と検索すれば、今では総トータル500万以上の検索になり
ます。これも愛や友情・信頼や絆があっての話です。

カラー詩笑って生きてん 072

天神西通りから乗せた35~6の女性客。以前「乳母車のおばあちゃん」
を紹介した時、色紙をやり、片や今おじいちゃんと色紙を眺めながら病院

の壁にかけ「おばあちゃんいいものもらったね、僕がよくなったら運転手
さんのタクシーに乗ろうねと90歳なるおじいちゃんと今話しているとこ

なの」と電話をくれたおばあちゃんと一緒にNHKの3本目の番組を
作るということで紹介した女性である。

いずれ皆様に紹介しますと言いながらようやく書く気になったので改めて
紹介します。彼女はタクシーに乗り込むと・・・

00病院までと言うので「えっ、あの00区の病院ですか?」と念を押す
とそうだと言った。「あの病院なら誰でも知ってるから説明しなくていい

からいいですね」と私が言うと彼女は「実は母が入院しているんですよ」
と言って彼女が説明してくれたことによると、お母さんは10年前脳梗塞

で倒れ、そのまま入院しているとの事。だから毎日、見舞いに行って顔を
あわせてくるのに便利だから病院のまん前のマンションを借りて見舞いに

行っていると説明してくれた。私は偉いなァ!10年とはすごいと思い、
色紙を書いてやる気になった。お母さんを励ますためにもこの人1枚だけ

の色紙を書いてやろうと決め、電話番号を聞き、後日書いて届けた。する
と山に登りかえってきたところだと言って現地のお土産を私にくれた。

その場はこれで終わっていたがとても喜んでいたのでNHKに紹介。
取材で色紙を頂いた感想を聞きたいと電話すると快く、いいですよという

了解を得た。放送記者が直接聞きに行くというのでよろしくとお願いした
がその返事が無い。こちらから電話すると断わられたと言う。

「えっ、何で?私は了解を取ったから紹介したんですよ」と言うと彼女は
私だけの取材だと思っていたから応じたの」と言ったと言う。

すると放送記者がボクがお母さんのコメントと写真が欲しいと申し込むと
激叫したと言った。それが何を意味していたのか・・・

また話が長くなるので続きは後日書かせていただきます

                  
                   タクシー詩人 一ノ宮けんし

誕生日おめでとう!

2011年 10月12日 05:55 (水)

2011年9月12日 大分県日田市に92歳になるおばあちゃんの誕生祝
いをするため行った。顔色も笑顔もよく元気であった。妻の弟たちが面倒を

みてくれている。昼間農作業で働いているため、施設から迎えに来て夕方帰
って来るという。その労もねぎらって食事をした。帰りにほかほかの新米を

もらって来た。それに朝、採って来たという生しいたけ、ねぎ、まだ露のつ
いたレタスをもらって帰ってきた。

花6

誕生祝いといえば博多駅から西区まで乗せた母子がいた。
「ボクはいくつ?」と聞けば
「6歳」と元気よく答えた。

「おお、元気がいいね」と運転しながらバックミラーで後部座席を覗くとマ
マの顔を見てた。

「ボクは気持ちがいいね」「そんなにはきはきしゃべれて!」と更に突っ込
んで子供からコトバを引き出そうとすると子供より母親のほうが乗ってきた。

そして母親が「元気がよくて困るんですよ・・」と誕生日の話をしてくれた。
母親の話によると・・・

先月の誕生日、兄の家で弟たちの子供も呼んで誕生祝いをやったんですよ。
この子のいとこ、男の子3人女の子2人お座敷のテーブルの中央におじいち

ゃんが座り、ママたちはケーキの周りに料理を乗せ誕生会ももう少しで始ま
ろうとしていた。子供たち、特に男の子たちはテーブルの周りを「キャーキ

ャー」言いながらぐるぐる走り回っていた。その騒々しさにおじいちゃんが
切れた「良太!お前は去年もその前も暴れて、誕生会を台無しにしただろ、

みんなも静かにしなさい!」と一括、一瞬静かになった。
しょぼんとした良太に弟の子が横目で見ながら小さな声で「やーい、怒ら

れた」と指を刺した。良太は負けじと今度はいとこの胸を片手で押した。
押されたいとこの手が隣に立っていたもう一人のいとこの首に当たった。

さあ、それからが大変2対1で「やーいやーい、怒られた!」と言って
逃げ回り、それを追いかける良太、いとこの背中を追いかけながら押すと

いとこ2人が走りをやめ振り返り2人がかりで良太を押すとよろよろっと
した良太は後ろ向き、テーブルの真ん中におかれたケーキの上にドスンと

しりもちをついてしまった。ご他聞にもれず、ことしもふけーき面の誕生
会であったと後部座席の良太のママが話してくれた。

降りていく良太に「良太がんばれよ」とエールを送ると良太はVサインで
バイバイして降りて行った。

先が楽しみな良太であった。

あわい恋

2011年 10月06日 11:12 (木)

2011年9月8日 ごめんなさい2日続きの物語、書き物頼まれ物があり
イライラさせて申し訳ございません。(はひふへほの歌・シリーズ)

花2

2011年9月7日 食欲の秋・スポーツの秋・読書の秋・実りの秋・そし
て恋も実りの秋と思える秋。だがここに深いおとし穴があった。

やっとつかんだ恋が偽りであったらあなたならどうしますか?
今日はこの落とし穴に落ちて泣いた女性の話をさせていただきます。

Nature1-012.jpg
尚、コメントのお返しはしばらく拍手欄・コメント欄からお返しいたします。

中州から飯塚まで乗せた30前後の青年の妹が短大もなれて天神で知り合った
青年と恋に陥ったという話をしてくれた。そして妹は大変な深みにはまって行

き地獄に落とされて行ったという。そんな話をしてくれた。
・・・と言うのが昨日までのお話。

呑んでお帰りですか?と尋ねると飯塚のおばさんのところに一週間に一度帰っ
ていると言う。そして間を置き、運転手さん聞いてと後部座席から声をかけて

きた。「いいですよ!」と答えると彼は妹の話を始めた。
妹が恋に目覚めイケメンに恋をした。

有頂天になった妹は食事に誘われ、ドライブに誘われ、愛してるよとまで言わ
れ体まで投げ出した。セックスの後、今日お金忘れたのと言って最初2万円貸

して、2日後に戻すからと言うので貸してやった。そして2日後戻してくれた
と言う。それで安心したのかすきが出来たのか次も2万円、それもすぐ戻して

くれたと言う。次に5万円貸してと言った。妹は5万円は持ってないと断わっ
たと言うが。どうしても必要なのでキャッシュカードでちょっと出して!すぐ

戻すからといわれキャッシャカードで引き出し貸してやったと言う。
それもセックスの後に言われなんとなく出さざるを得なくなったと言う。

そして貸した金が30万ほどになっていたが「愛してるよ、愛してる」
「結婚しよう」と言われ、うれしさのあまり、同棲するようになった。

同棲して2日後に彼はいなくなった。出て行ったのだ!そうしてサラ金
から請求書がくるようになり合計300万の請求書がきたと言う。

彼を探しているうちに800万の請求書がきたと言う。妹は自分ではど
することも出来なくなり、父親に事情を話したときは取立てが自宅まで

きていた。サラリーマンの父は急遽、住んでいる家を売ってその金で
完済、かたずけたのだが家族はバラバラ、借家住まいになったと彼は

はなしてくれた。恋は盲目と言うがまさにその通りである。
だが本人の自覚しだいだろうと私は思った。

高くついた恋もあれば私みたいに一銭ももたないまま結婚した者もい
る。だが今は怒られ通しだからやっぱり高くついたのかなァ!

私の作った(はひふへほの歌)今日ははひふへほの(ひ)を紹介しま
す。(ひ)は人並みに生きれればそれでいい!と思って生きています。

長生きするこつは?

2011年 10月02日 06:15 (日)

2011年10月2日
西公園下で大きな風呂敷で包んだものを持って立っていたおじいちゃんを乗せた。
タクシーに入るかなと思ったのでトランクに乗せましょうかと尋ねると座席で言い
と言った。とても大事なものらしい。

カニ

尚、しばらくコメントのお返しは拍手欄・コメント欄からお返しいたします。
9月はイベント・結婚式・運動会・敬老会など24ヶ所からお呼びがかかり

22ヶ所お断りして2ヶ所だけしか行ってないにも関わらず、雑用が多くこの
有様、電話対応と仲間70人とで手分けしてどうにか9月を乗り越えました。

迷惑をおかけしました皆様、この場をかりてお詫びもうしあげます。



タクシーに乗ったおじいちゃんに走りながらおじちゃんの顔も見えない大きな
もの。(運転席とおじいちゃんの足元に挟んで乗せてる風呂敷包み)

一体何だろうか?気になってしょうがないので思い切って尋ねた。
するとおじいちゃんはいとも簡単に「絵!」と答えた。

それが会話の始まりだった。
「絵って、習いにいってるんですか?」と問いかけるとバカモノと言うような

顔になるかと思いきや、明日展示会があるので飾り付けに行っていると説明し
てくれた。正に芸術の秋にふさわしい言葉であった。威厳があった。

絵ってすごいですねと誉めてやると、今90歳で絵を習ったのは息子に病院を
譲ってから習い始めたと教えてくれた。

「そうなんですか元気がいいですね、元気の秘訣は何ですか?」と尋ねると
「うーん」と一呼吸おいて「病気をしないことだよ!」と明快な答えを出して

くれた。何々このおじさん少しやるな?と内心思った。かくしゃくとした態度
威厳があり、教養があり、笑いがあると感じとった私はこの病院の先生に更な

る質問をした。
「先生!長生きするこつは、何ですか?」と尋ねるとまたもやいとも簡単に・

「死なないことだよ」と答えられた。日ごろ私が発するようなことを先に言わ

れて脱帽、降りるとき帽子を取ったら毛まで抜けていた。カニさんが切ったの
でなく抜けていたのだ。

人生これでいいのだと先生の背中を見ながら感じた。よろいかぶとを脱ぎ捨て
笑って生きようとする姿に感服した私であった。

私のはひふへほの歌、今日は(は)半分でもいいではないか!
そう思えば人生100も200も生きられる欲張ったところで100も200

も生きられまい。そう思って作ったはひふへほの歌、次回ははひふへほの(ひ)
をご紹介いたします。





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