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(3)ママは17才

2011年 06月29日 04:01 (水)

たくさんの情報や処理方法お寄せくださいましてありがとうござ
いました。尚、お返事は当ブログコメ欄からかえししています。

カラー詩笑って生きてん 066

露も上がろうとしていた6月の末日、PM11時ごろ。中州の春
吉橋の上から黒いリクルートスーツを着て走ってきた若い女性
を乗せた。

「運転手さん 急いで!」と開口一番言った。
「はい!今日は飲み会でおそくなったんですか?」とあわててる
彼女に言った。

何故なら17~8歳に見えたからだ。更に会社帰りに友人か会社
関係者と飲んで遅くなったんだと私は思ったからだ。
それに11時、中洲に勤めてる人なら8時~9時ごろ店を開け

客が来だすのは9時からだ。それに中州の女性の帰りは12時ご
ろから2時~3時がピークである。だから酔い客だと思っても仕
方がなかった。

彼女は仕事の帰りで、家には1歳の子供が待ってると言った。
「えっ!あなた子供がいるの?」と念を押すように聞き返した。
何故ならどうみても17~8才にしか見えなかったからだ。

彼女は17才の時、生んだ1歳になる子供がいると言った。
更に驚いたのはその子が一人でいると言うことを聞いたからだ。
「えっ!一人で?」考えられない。信じられない。私の年代では

考えられない出来事であったからだ。
だんなは?と聞けば分かれたと言う。それじゃ御両親は?と聞け
ば県外の遠いところだと言った。

一人で生んで一人で育てていたのだ。親が反対したのを振り切っ
て彼と同棲したが子供ができると聞くと出て行ったという。
親の所へも帰れず、近くに相談する人もいなく。自分で全部処理

していると聞いた。夕方子供を寝かせそれからの勤務。彼女には
聞かなかったが数時間出てあの時間に帰れるのはスナックなどの
飲食店ではなく、風俗・ソープなどであった。

毎日ソープ街から呼ばれ県外から1週間に1度努めてる学生さん
を朝一番、博多駅に送ったり県内の一番遠いところへ3時間かけ
て自宅には会社勤めように普通の時間帯に帰る女性など数え上げ

たら切がない。ローンに苦しんでいる人、留学費用捻出のため、
彼氏にカードを使われ泣く泣く働いている人等など仕事がら、た
くさん知っている私としては生活費は当分努めている限り安定す

るだろうと一安心した私であった。
せめて彼女に「がんばりなさいよ」と言うのが精一杯であった。

それから一月ほどして20歳ぐらいの女性を乗せ、若いのにえら
いね・・と17才の女の子の話をすると「おじさん!私は15歳
で生んだのよ」と言われた。それからずっと水商売だと言った。

やはり中州は私が心配するほどのことは無く強い女性が働いてい
ることに気づいた。でもこの子供たちが無事育ってくれることを
願わずにはおれなかった。

それからむやみやたらに恋をした結果こういう事態も起こりうる
ということも知ってもらいたく名前、地名、行き先など伏せて公
表いたしました。

次回は裕福な家庭の裏で起きた人間」模様を公表します。
これは・・・・
          
            タクシー詩人 一ノ宮けんし


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(2)あかちゃんとDV

2011年 06月27日 05:50 (月)

カラー詩笑って生きてん 077
コメ返しはしばらく当ブログからかえします

前回8年ぶりにご両親に見守られこの世に生を受けたあかちゃん
のお話をさせて頂きましたが今回は生を受けられなかったあかち

ゃんや生を受けても恵まれない環境で育たねばならないあかちゃ
んの話をさせていただきます。

福岡日赤病院から午後3時ごろ母娘を西区まで乗せた。荷物を持
っていたので走りながら「退院ですか?」と挨拶代わりに尋ねて
みた。

娘は「ハー」と元気の無い返事。コトバを変えて尋ねたがそれで
も「ハー」と言う返事。それではとお母さんに「今日は天気もい
いし退院するのはいい日じゃないですか」挨拶すると・・・

お母さんが何か絡まっていた糸が切れたように娘の言葉に出せな
い理由を聞かせてくれた。母親の話によると、娘は彼の部屋で殴
られ意識をうしなったという。

あわてた彼が救急車を呼び日赤病院へ緊急入院したと言う。
「そうなんですか、それは災難だったですね」と私が言うと母親
は更に意外な事実を教えてくれた。

以前から暴力が絶えず、何度か家に逃げ帰ってきたが、その都度
彼が家にきて連れて行くのだと言った。母子2人ぐらしだったもの
で男親もなく、誰に相談することも出来ず彼のすごい形相に負け

連れて行かれた結果。
2ヶ月前に殴られ妊娠してたおなかの子供を流産させたという。
以前から暴力が絶えず彼女は悩んでいたというそして今回の事件

「運転手さんどうしたらいいでしょうか?」と相談する相手もな
いと私に問いかけてきた。
私はとっさの事でどう答えていいのか迷ったが彼の知らないとこ

ろに逃げて行くか警察に行くかどちらかでしょうね・・と答える
のが精一杯であった。秘書時代から色んな苦情や問題を解決して
きた私でもこの問題は解決することは出来なかった。

せめて県下の警察署どこでも顔が利くので紹介いたしますよと言
うと家の近くに交番所があるというのでとりあえずそこで相談し
てみてくださいと言ってドメスチックバイオレンスに悩む母子を

無事送り届けたのであった。
それから一月もたたないうちに同じ問題で悩む女性が西鉄のある
駅の近くから午前2時ごろ乗ってきた。

彼女はタクシーに乗るなり「おじさん助けて!」と言った。
「どうしたの?」と聞くと3歳の息子と逃げてきたと言う。
結婚当初から暴力を振るうご主人に嫌気がさしていたが子供が生
まれ、がまんせねばと自分に言い聞かせ耐えてきたが今夜暴力を

振るった挙句。明日の子供の病院代と用意してたお金を全部持っ
て行って、すっからかんで逃げてきたの・・と言った。
とりあえず知人はいないのとたずね・・そこへ私の携帯から夜分

迷惑と分っていたが事情を話し乗せて行った。
まだまだDVにからんだ話はたくさんあるがとりあえず。このブロ
グをお読みの方で対処方があったらおしらせください。

このようなDVの話はたくさんありますが次回リクルートスーツを
来た女性を中州から乗せたお話をさせていただきます。

愉快な仲間 009

(1)あかちゃん

2011年 06月24日 06:53 (金)

コメ返しはしばらく当ブログから返させていただきます

あかちゃんは誰でもかわいい!
でもそうでない場合もある。

そういうあかちゃんでも必死に守っている人がいる
登場人物4人の姿を今後、語りたいとおもいます。





アジサイが咲く季節になるとすがすがしい朝を迎える。
そんな6月も終わろうかなァーとしてる時、予期せぬメールが
届いた。

おじさん覚えていますか、昨年夏、博多へコンサート見に行き、
その帰りサンパレスから博多駅まで乗った男女です。
短い乗車の中で私の心の中、彼のやさしさを見通し話をされて

いましたが、それがズバリ当たっていたのでビックリしました。
あの時、結婚して8年になるが子供が出来ず、悩んでいました。
それが原因で毎日主人とケンカしてました。 

ノイローゼになっていた私の気を晴らそうと主人が私の好きな
歌手のコンサートを見に連れて行きました。
そんな時です。おじさんのタクシーに乗ったのは、あの時おじ

さんは赤ちゃんのことなど話さ無かったのに知ってるかのよう
に幸せな家庭を作る、あなたはあたたかさをもっている。必ず
幸せになれます。訪れますよ。と言われました。それにご主人

が必ずあなたを守ってくれますと言われ信じていました。
そのかいあって一ヶ月後に妊娠、流産のことなど心配していま
したが6月14日に無事生まれました。ありがとうございました。

・・・ともう少し長い文で二人の職業や馴れ初めなどが書かれ
たメールが届いた。
私は早速「おめでとう」とメールをした。

だが可愛いあかちゃんの話はこれだけではなかった。
次回は生後まもないあかちゃんの話をいたします。
きっと「えっ!」と驚くでしょう。

             タクシー詩人 一ノ宮けんし

(2)野球帽をかぶった女の子

2011年 06月21日 01:49 (火)

コメ返しは当ブログからしばらくかえします

 博多駅から乗せた母子を九大病院まで乗せた。
元気の無いお母さんの代わりに「こんにちは」「九大病院までお
願いします」とても元気なハキハキとした女の子であった。

てっきりお母さんの付き添いで来ているものと思っていた私は女
の子に「お母さんの付き添いですか?」と少しジョーク込め言っ
た。

そしてお母さんに「どこが悪いのですか?」と尋ねると・・・
お母さんは苦笑いしながら「いいえ、この子ですよ」とおっしゃ
った。

「えっ!この子?」
「こんなに元気がいいのに、どこが悪いの?」
と聞かれずにはおれなかった。

「こんにちは!」「九大病院まで!」いくつですか?と聞いた
ときはちゅうちょせず「5才です!」とはっきり、しかも元気
よくここちよく返事をしてくれた。

この子のどこが悪いのか?疑問に思い「どこが悪いのですか」
と聞かずにはおれなかった。すると母親は私にむごいことを
教えてくれた。聞くと同時に「えええー」と驚かずにはおれな

かった。「この子、目玉が無いのです」「義眼の手術をするた
め今日、入院するんです」と言った。私は驚き、女の子の方を
振り向くと野球帽の下にある顔は今まで判らなかったが顔を上

げ私に見せてくれた笑顔の中には目玉は無かった。
こんなかわいい子に神様はなんてことをするんだとこのとき、

思った。そして病院へ着き、タクシーを降りて行く時、「あり
がとうございました」と大きな声と笑顔を残して小さい彼女は
去って行った。

この笑顔が私の心から消えることは今でもない。
でもよく考えると5才という年齢だからよかったのかな・・と
も思った。これが18歳や20歳になって見えなくなったので

あればもっと辛かったであろう。生まれつき真っ暗闇の世界で
育ったから、あんなに明るいのではないだろうかと逆に思った。
それがあの子の顔を見た私のエールであった。

でも最後に残した小さな彼女の笑顔に・・・

「君の飾らない 笑顔がいいね 」と色紙に書いた。
log-imgs-38.fc2.com/i/t/i/itinomiya109/201007141346124fe.jpg" target="_blank">2009,5,31 018

(1)野球帽をかぶった女の子

2011年 06月17日 08:19 (金)

コメン返しは私のブログからもお返しさせていただきます。

「野球帽をかぶった女の子」

野球帽をかぶった女の子と出会ったのは博多駅であった。
女の子は「コンニチハ!」と大きな声で乗り込んで来た。その後
に30半ばのお母さんが「もっと奥に行きなさい」と言って荷物

を持って立っていた。
「女の子は九大病院まで!」と元気のいい声で行き先を告げた。
確認を取ろうと母親を見ると美人であったが何か心配気な顔をし

覇気がなかった。私は女の子に運転しながら「いくつ?」と聞く
と「5才」とハキハキした声で言った。
そこで私は「今日はお母さんの付き添いできたの?」と元気のな

いお母さんの診察に付いてきたものだと思い冗談のつもりでそう
言った。ところが「違います!」と女の子は元気な声で言った。
「えっ」不審を抱き、お母さん方を見るとお母さんは初めて苦笑

いとは言え笑顔を見せ、「そうなんですよ」と言った母親の口か
ら意外な事実を知った。まさかこの女の子がその事実とは・・・
次回に

愉快な仲間 003
「あじさいが咲いている 肩をよせあう
       大きな花さん 人心もなりたいね!」

 この母子を乗せた時、病院の回りにはアジサイが咲いていた。
このアジサイのように友だち・病気に悩まず大きなこころでこの

子のように世の中を乗越えて欲しいと一ノ宮けんしが書いた詩に
後日、天神から東区まで乗せた押し花の先生に差し上げていたら

心の輪は心を呼び、押し花の中にこの詩を入れ額にして送ってく
だされた。

その後、私はこの作品をぶらさげ身障者たちと「愉快ななかま
展」を開くのであった。イラストの描ける子はイラスト・写真

得意な子は写真・書の上手な子は書・編み物の得意な子は編み物
など私は送ってきた作品に一つ一つ詩を書き展示するのである。

この下のひよこの絵も身障者の女の子から送られた作品である。

私は野球帽をかぶった女の子をブログに書くときあった出来事・
事実だけでなく多くの悩まれている人たちの励みになればと思

って書きました。病気だと悩んでいる人はぜひ続きを見てくだ
さい。

コンビ二強盗!

2011年 06月13日 08:17 (月)

当ブログは客の投げる直球を受け、笑顔を投げ返す。時には変化
球に熱いコトバを添え投げ返す時もある一ノ宮けんしの日記です
次回は女の子がどのような球を投げたか・・・感動しますよ。

コメントはコメント欄からも返しています。
カラー詩笑って生きてん 070
警固四角からあわてて手を上げ乗ってきた。黒いスーツに黒ズボ
ン、サングラス、女は黒いドレス。ケンカして来たのか男は捨て
セリフを後の方に吐いていた。

「お前が止めとらんなら俺はあいつをやっとるばい」女は黙って
いたがとっさにケンカしてきた後であると判った。男の一方的な
しゃべりに素人さんでは無いと判断はつく、こんな時は口を挟ま

ないに限る。以前に隠し持った日本刀で脅されたことがある。
でも日本刀の男、ケンカは強いが頭は弱かった。
私に右翼と書いた名刺を投げつけると日本刀を抜こうとしたが

ドアにひじが遣えて抜けなかった。飲んでいたとはいえやはり
アホだった。今度は頭を働かせ上向けて切りつけようとしたが
「どーん」と天井に柄がつかえぬけなかった。

内緒の暗号発信し会社に連絡・タクシー仲間・パトカーに取り
囲まれ警察へ連れて行かれ、刀はサヤの中、自分はオリ中へ収
まった。

でもさわらぬ神にたたりなしという。と思ったものの、何だか
タクシーの中は気まずい雰囲気であった。
車は薬院大通り、平尾へ入ったところコンビにがあり、その前

にパトカーが2台、そして少し先の方に1台、わき道の側道に
もコンビ二の裏にも赤色灯をつけながら停まっていた。
「なんやろか」とサングラスの男が言った。「なんやろうね」

と女が言った、コンビ二の前には青い車のトランクをあけ警官
が中を捜している。その右側に若い男が2人の警官に両脇を抱
えられトランクの中を覗いていた。






強盗ではないみたいであった。タクシーの中の暴力団風の男は
もう一度「なんしたっちゃろうか」と言った。
すかさず私は「コンビ二強盗ではなさそうだし、マリファナじ

ゃないですか?」と言うと「マリファナ・・」と聞き返した。
ここで私は怖かった暴力だ風の男が私の手の平に乗った。この
時点で心の中に隙間が出来たのだ。

そう思うと私は「お客さん!マリファナ吸ったらいけませんよ
」と念を押すと男はサングラスの向こうから「俺はそんなの吸
わんぜ!」とドスのある声で答えた。

これで大丈夫と思った瞬間「私も吸ったり飲んだりしませんが
毎朝、八女茶を飲んどります」と言うと「ふふふー、八女茶」
と笑ったところで車内の雰囲気はゴロっと変わり不通の会話に

戻ったのであった。




タクシー強盗をやろうとしていた2人組みを乗せた時もそうで
あった。彼らが襲うのは強そうなのは止める。抵抗しそうな運
転手もパスだからやせて細い、ケンカに弱そう。年寄りそんな

人たちを選ぶのである。私もその中に入ったのかクリアされて
いた。2人の目に止まったのである。でも尋常でない目、落ち
着きがない。黙っていたらまずいと思い私は話かけた。

これで高まった2人の気持ちを引きずり下ろした。でも決行し
たい彼らは「おじさん、俺たちが襲ったら、どうすると質問し
てきた。私は「抵抗するくさ」とすばやく答えると・・

「俺たちは空手をしとるばい」と言ってこちらの抵抗度を調べ
てる。そこで「おじさんは柔道しとる。あなた達が一撃でおじ
さんを倒さなきゃ、指の1本ぐらい折るぐらい抵抗するよ」と

答えると話を変えた。彼らのやる気をそがなくちゃと・思い
こちらから「あんた達、金が欲しいとね」とズバリ聞いた。
彼らの戦闘意識は胸のうちを見透かされたせいか消えていた。

そこで一ノ宮けんし流のとどめをさした。金ぐらい簡単に入
るもんはないばい。と言うと「おじさん、どうすると、どう
すれば手に入ると」と後部座席から身を乗り出し聞こうとし

ていた。「おじさん教えて、どうすればいいと」とそこで
私は完全に戦意をなくした彼らに引導を渡した。
「それはね」「なんね、なんね、おじさん」と言う彼らに

「金を持ちたければね、金持ちに生まれることだよ」
2人は「「それ、なーん、おじさん」と笑いながら落ち着
いたみたいであった。

こういう話はいっぱいあるが次回は「野球帽をかぶったか
わいい女の子の話をいたします。
さてこの女の子がどんな球をなげるのか感動しますよ!






(4)乳母車のおばあちゃん 完

2011年 06月10日 05:41 (金)

次回(コンビに強盗)13~4日に発表します。

大変申し訳ありませんPC不慣れのため、コメントのお返し
は当ブログコメント欄からお返しいたしています。
2009,5,31 09,1016 2011nenn      ブログ写真 046
「続」
乗せたのはたった50Mの距離であった。(電柱1本ぐらい)そ
れがこんなに続くとは思わなかった。

「運転手さん私よ!乳母車のおばあちゃんよ」と電話してきた
のはおじいちゃんの病室に飾り2人で眺めながら「いいものも
らったね」と喜んでいるという知らせであった。

そして私の番組を一つ作りたいというNテレビ局の申し出にお
ばあちゃんを出そうと探し回った挙句断られた。

それから2年後「ボクが良くなったら運転手さんのタクシーに
乗ろうね」と言い続けながらおじいちゃんがく亡くなったと言
う電話。その後、おばあちゃんを見る事はなかった。

それから1年か1年半後であった。
「運転手さん覚えてる?乳母車のおばあちゃんよ」と電話がか
かってきた。「えっ、おばあちゃん!おばあちゃんなの」「今
、何してるの?どこにいるの?」と尋ねると・・・

愉快な仲間 001
今、福岡市の大きな老人介護施設「000」に入っているの!」
「えっ、マンション出たの?」と言うとやはり息子さんと折り
合いが悪く私の方から出たという。そこで悲観してるのかと思

いきや今楽しいと言う。それに今、施設で習字を習っているの
。その習字のお手本も全部書き終わり、今、あなたの詩の文字
に挑戦しているのよ!でもそれも終わりそうなので出来たら、

あなたの詩をいくつか見せてくださらんでしょうか?というの
で、「いいよ!」と答えた。「忙しいから暇になってからでい
い」と言うと「それでいいわよ」という返事であった。

ところが皮肉なことにその後、休みの度に個展・講演の話が来
たのであった。銀行を2つ、身障者の学園、看護学校と同時に
くるものだから忙しくて出来ないと断ったのであったが、それ

ならば作品だけ貸してください。自分達で展示しますからと自
宅まで取りにくる始末。ようやく声もかからなくなった2年後
時間ができたのでおばあちゃんのところへ電話した。

すると昨日、亡くなられたと言うことを聞いた。そうですかと
がっかりすると職員が気づいたのか「運転手さんでしょう」と
言った。






そして職員が話してくれたことは・・・
おばあちゃんはおじいちゃんから愛され、しあわせだったと口
癖のように言ってたということであった。それに私とおじいち

ゃんを最後までつなぎとめ生きる勇気をくれた素敵な運転手さ
んがいるのよ・・と最後は自慢げに話していましたよ。と聞い
た時、ふと中州の女の子が自殺したとき同じようなことを言っ

て死んでいった事を思い出した。その女の子も私が飲みに行っ
た訳でもなければ友達でもなかった。運転手と客それだけであ
った。その子の話も同僚からきかされたのであった。ただ共通

して言えることは詩を書いてやったということである。その子
には「親から愛をうけ20年、・・・そしてその愛はあなたの
子供にそそがれるでしょう」とかなんとか書いたことを覚えて

いる。考えれば私の詩ひとつで生きる勇気も死ぬ勇気も起こさ
れると言うことだ。だからプロ野球選手が監督が力士が相撲部
屋が私の詩を額にいれ書いてくださいと来るのである。赤ちゃ

んの詩、誕生の詩、子供の詩、スポーツの詩、死人の詩(これ
は新聞社の依頼)どんな詩でも構わないで作ることが出来る。
それもその場で即興で書くがもらった人は何年も何十年も心の

中に残っている。詩を書いていて怖くなることがある。でも1
人でも私の詩で立ち直ることが出来たら幸いです。この事を
アラタメテおばあちゃんからおそわりました。

おばあちゃんありがとう。安らかにお眠りください。
そしておばあちゃんへ・・・

「閉じたページの隙間から あなたの笑顔がこぼれます」
 
            一ノ宮けんし       
   


乳母車のおばあちゃんは10日ごろ!

2011年 06月08日 07:18 (水)

「お母さん 感謝の気持ちをこめて 
    言わせてください いつもありがとう」
 
(大宰府・山の上個展・ゆかいな仲間展を身障者と開いた時
 の作品です)  

詩タイトル 2 003
仕事が忙しくすみません。乳母車のおばあちゃんは10日ごろま
でには次回作が出来るとおもわれます。たくさんの期待コメント
ありがとうございます。もうしばらくお待ちください。

(3)乳母車のおばあちゃん・愛

2011年 06月06日 05:24 (月)

カラー詩笑って生きてん 019
取材をことわられ2年後であった。私もすっかり忘れていた。
その日は朝からばたばたしていた。

なぜなら西日本新聞社・国際ホールで朝日新聞、毎日新聞、読売
新聞 西日本新聞・聖教新聞、韓国日報の役員や記者・地元ラジ

オ局のディレクターなどを招いての「笑って生きてん」の講演を
するため出かけようとしていた時だ。

家の電話のベルがツルルン~ツルル~ンと鳴った。

2009,5,31 09,1016 2011nenn      ブログ写真 041
「運転手さん、覚えてるー、乳母車のおばあちゃんよ」と懐かし
い声であった。「あなたに知らせようか迷ったんだけどおじいち

ゃんが あなたの詩を見て、おばあちゃん、早く良くなって運転
手さんのタクシーに乗ろうねとずっと言いながらはおじいちゃん

が先日亡くなったのよ」と言った。実はあなたにあった2年前に
医者からあと2ヶ月ですと言われていたのにあなたの詩が気にい

ったみたいで、見るたびによくなって運転手さんのタクシーに2
人で乗ろうね。と言いながら命をつないでいたみたいでおじいち

ゃんの、そういう思いをあなたに伝えたいと思い、電話させてい
ただきました。

と聞いたとき私は受話器を持ったまま合掌していた。
今日のような日に電話があるなんて何かの縁なのかなァ・・なん

て思いながら講演に出かけた。
この電話がかかって忽然と消えたおばあちゃんはマンション近く

で見かけることは無かった。それから1年後予期せぬところから
電話があった。

最後までおじいちゃんとの愛を貫き通し住んでいたマンションを
息子さんたちから追われ・・・

       また話が長くなるので次回に 

           
  
       

(2)乳母車のおばあちゃん

2011年 06月03日 13:17 (金)

カラー詩笑って生きてん 071

「運転手さん色紙の詩、ありがとうございました。今、おじいち
 ゃんの病室に飾り、いいも のもらったね・・とおじいちゃん
 と喜び、僕がよくなったら今度、運転手さんのタクシーに2人

 で乗ろうねと色紙を眺めながら電話してるのよ」・・と言う電
 話があり、NHKのディレクターに話したら、ぜひ取材したいと言
 うので紹 介したが1ヶ月が過ぎてもおばあちゃんを見つける

 ことも連絡することすら出来なかった。
 それでもとさらに探すが見つからず、2ヶ月の約束が近かずい
 た4日前に以前タクシーに乗ったマンションの中に入って行こう

 としているおばあちゃんにタクシーの中から声をかけたが聞こ
 えなかったみたいであった。
                カラー詩笑って生きてん 019
 あわててタクシーを止め飛び降りると、ドアの中へ消えようと
 するおばあちゃんに声をかけた。そしてNHKの取材の件を話す
 と・・てっきり受けてくれるものと思っていた私は期待してた
 
 言葉と反対の言葉を聞いてしまった。
 「それが駄目なのよ」と言っておばあちゃんが話してくれたこと
 は、自分たちは再婚同士で人様の前に出れるような身分ではない

 の・・という。今の人たち、若者達が聞いたら理解できないと思
 うが90歳前後の方はまだ「恥」という文化が残っていた。その
 上、テレビでニコニコ笑いながら離婚会見をする。このようなこ
 
 とはもっての外の世代 の人たちであった。しかたが無かった。
 だがこのおばあちゃんとはこれで終わらなかった。
 こんな事があって2年後にまた電話があった。

 

 NHKの方には福岡の大きな病院の前のマンションまでPM8時ごろ
 乗せて行き、やはり色紙を差し上げた36歳位の女性を紹介し、
 取材のOKまで取った。だがこの女性とトラブルが起きてしまっ
 
 た。この事はアラタメていつか記事を書くつもりでいます。
 ご期待ください。
 
 乳母車のおばあちゃんの話はまだまだ続きます。そこで人生
 ・夫婦愛・家族がどういうも
 のであるか判って頂ければ幸いです。    


 




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