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明けましておめでとうございます

2010年 12月31日 06:42 (金)

愉快な仲間 005

       2011年1月1日
   明けましておめでとうございます。

昨年はJR夜明駅(無人駅)個展では大変お世話になりました。
今年も現人神社のひょっとこ奉納に始まり、廃校式・卒業式・

入学式・どんたく出場と予定が舞い込んでいます。
Aさん管理のブログ「一ノ宮けんしの世界」ともども

今年もよろしくお願いもうしあげます。
     
              タクシー詩人 一ノ宮けんし
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大宰府天満宮には行かないという。

2010年 12月29日 10:10 (水)

カラー詩笑って生きてん 072

2010年12月28日 大きな雷と雨が急に降ってきた。近所
の女の姉妹2人が雷を怖がり私の家に逃げ込んできた。

両親が仕事で子供たちを預かってくださいとTELしてき
たのだ。実はこの子たちの親も実家が日田である。だか

ら直ちょく遊びにくるのであった。休みのときは日田に
帰るのであったが今回は仕事が詰まって年末ぎりぎりに

なるらしい。正月は大宰府におまいりに行くのとたずね
ると下のYちゃん。去年1年生になる前保育園から学問の

神様だからと参りに行ったそうだ。ところが小さな体で
太鼓橋渡るのに苦労したらしい。「おじちゃん、大宰府

には行かんとー」という。「どうして」たずね返すと
橋は渡りにくいし、お参りのときお辞儀をしてたら腰が

痛くなると、だからもう行かんとー」と説明してくれた。
私の妻が「学問の神様だから行くとよ」と説明したが今

度は妻に「おばちゃん、学問ってなーに」と聞いてきた。
妻が「頭がよくなると・・」と説明していたが「勉強は

変わらんよ、おばちゃん」と軽くいなされていた。
兎に角このかわいい、姉妹が元気に育ってくれればいい

とおもいながら子供たちとおやつをたべた。





銃を乱射した子供に送った詩

2010年 12月28日 04:58 (火)

20100818094845502[1]

(君は生まれたときは 銃もナイフも持って無かったのにね)

2010年12月机の中を整理していたら10年ぐらい前の新聞が
出てきた。アメリカで銃を乱射してつかまった少年に贈っ
た詩である。

この5月」RKB毎日放送がテレビでこの1枚のため放送してく
れたのをおもいだした。今は大人が銃を持ちアフガンでイ
ラクで銃を乱射している。10年たっても変わらない。すば

らしい国である。    タクシー詩人 一ノ宮けんし

佐渡ヶ嶽親方より番付表が届いた

2010年 12月25日 09:21 (土)

IMG2009120015.jpg
(平成23年1月9日~15日の15日間の番付表が届く)

11月の九州場所千秋楽祝賀パーティを欠席して心が重たかった。
白鳳が連勝してもそんなに感動はこみ上げてこなかった。でも

この番付表を見て新たな気持ちで見れるようになった。東の正
大関に琴欧州、西の関脇に琴将菊、西の前頭に琴春日(この好

青年がよやく上がってきたからだ)更に地元日田で同窓会をし
ていると日田林工高の相撲部から新しく入門する生徒の激例会

があっていた。そこに出くわせたのであった。うれしさがこみ
上げてきた。私であった。






ご挨拶

2010年 12月23日 04:36 (木)

IMGピクチャmp_0004

(1年間ありがとうございました)

今年最後のあいさつにある新聞社の役員さんへご挨拶へ言った。
久しぶりにお会いしたが元気そうであった。電話で無理な頼み

ごと相談事、所かまわずTEL,高速道の上だったり、東京出張だ
ったり、そこで会議中、視察中でもお構いなくしても必ず終わ

った後、電話をいただいた。定年退職で会社を辞めた報告と1年
間のお礼を言ってお別れした。

午後から妻と2人でお風呂へ行った。またそこで知ってる人、3
人と会った。1人は19歳のときからの付き合い。1人はひょとこ

仲間。他の1人は16年前から知り合いになり最近またお世話に
なってる人であった。縁とか付き合いというものはしておくべ

きだと思う。特に孤独に成らぬために若い人たちにお願いした
いものである。
                   一ノ宮けんし

またまた忘年会

2010年 12月22日 05:27 (水)

20100825045425924s[1]

2010年12月 一ノ宮けんしは、あまり乗り気のしなかった
忘年会。なぜなら市内のど真ん中でおきた。鹿の捕り物見

物のとき突然起きた肉離れの性である。だが始まると疲れ
た顔の人もおれば、もう出来上がった人もいた。見るから

に人波乱ふた波乱、あるものと予想していたがそのつど私
が中に入って「笑い」をとったので事無きを得た。

いつの時も酒は笑って呑みたいものである。

肉離れ!

2010年 12月20日 03:53 (月)

コーヒ

2010年12月18日の鹿の捕り物をごったがえす中、人だか
りと反対の隣のマンションの駐車場からゆっくりとみた。

のはいいが、足が何をあわてていたのか肉離れを起こした。
あれから3日たつのにいまだ晴れがひかない。毎朝飲むコー

ヒもなぜだかうまくない。トイレに行くにも杖なしではい
けない。歩くたび両足まで痛みがかんじる。

「おーい、この痛いの痛いのとんで行けと足をさすりなが
ら叫んでいるわたしである。惨めでもある。

ひょっとこ忘年会

2010年 12月19日 11:00 (日)

2009,5,31 012

2010年12月16日 ひょっとこの納会があった。18日忘
年会。楽しみにしていたら朝、散歩中、肉離れを起こ

した。歩くのも困難な状態だった。でも今年の公的行
事の最後、バス停まで5分で行ける距離を15分かけ

歩きバス停まで行くと博多南駅直通のバスがすぐ来
た。博多南駅行くと店からバスが迎えにきてくれた。

楽しいはずの忘年会を笑って過ごすはずが笑える場
面も半減していた。2次会のカラオケはさすがに断った。

常日頃、笑いを唱えてる私としては残念であった。
いつも唱える「笑顔があるって いいね」が身にしみ

た忘年会であった。  2行詩人 一ノ宮けんし

鹿の大捕り物!

2010年 12月18日 05:45 (土)

2009,5,31 039

 (えさを求めて)

2010年12月17日雪が平野部でも降りつづけていた寒い朝だ
った。背振り山は雪景色、この日日本海側では全国的に雪

と風が振り荒れた日であった。コタツに入ってテレビを見
ているとヘリコプターが上空をパタパタと舞っていた。火

事か車が那珂川に落ちたのだろうかぐらいに思っていた。
テレビも終わり、朝の散歩へ出かけた。ところがヤナセか

ら弥永団地の前はタクシー、レスキュー・消防車、パトカ
ー人だかりがダイキョーストアーの前まで続いていた。そこに

は更にパトカー、警察官、新聞社、テレビカメラマンスー
パーとマンションの間にはサスマタを持った警察官、網で

取り囲んだ警察官など30人ぐらいが鹿を取り囲んでいた。
体長1,5M。高さ角まで入れるとやはり1,5Mあった。

あまりの大きさに取り押さえるとき暴れて、塀、フエンス
ぐらい乗越えようとしていた。すごいジャンプ力であった。

たまたまスーパーの人、数人がコンテナみたいな台車で片
足乗っけ、飛び越えようとした鹿の前をふさいだ。

あれだけ暴れていたから野次馬にけが人が出ていたかも知
れない。えさを求め山から下りてきたのであろう。気がつ

けば混雑した車の誘導、パトの警察官の前で私は誘導をし
ていた。幹部の人が降りてきてそのてきぱきさにお礼を言

った。更に気がつけば散歩は取りやめていた。福岡市南区
という大都会でこういう鹿を見たのは40年間で初めてであ

った。

作曲家A先生から電話

2010年 12月15日 06:29 (水)

2009,5,31 042

2010年12月14日 作曲家のA先生から何年ぶりだろう
か電話があった。少し体を壊されていたと言う。

体の調子がいいので、わたしとコンビで作った「お母
さん」と言う作品を聞いていたら、お母さんの詩が心

の中にしみこんできたので電話したとおっしゃってい
た。奥さんも息子さんも元気にしていると言っていた。

息子さんはプロの作曲家・アレンジ奏者として現在、
横浜に在住で活躍していると言った。私もA先生を通し

て見てもらったことがある。テレビで活躍しているミ
ュージシャンを当時育てていた。みなさん元気だと聞

き「一ノ宮さん時間を作ってまた会いましょう」と再
開を約束したのであった。

      タクシー詩人 一ノ宮けんし