明けましておめでとうございます
2010年 12月31日 06:42 (金)
大宰府天満宮には行かないという。
2010年 12月29日 10:10 (水)
2010年12月28日 大きな雷と雨が急に降ってきた。近所
の女の姉妹2人が雷を怖がり私の家に逃げ込んできた。
両親が仕事で子供たちを預かってくださいとTELしてき
たのだ。実はこの子たちの親も実家が日田である。だか
ら直ちょく遊びにくるのであった。休みのときは日田に
帰るのであったが今回は仕事が詰まって年末ぎりぎりに
なるらしい。正月は大宰府におまいりに行くのとたずね
ると下のYちゃん。去年1年生になる前保育園から学問の
神様だからと参りに行ったそうだ。ところが小さな体で
太鼓橋渡るのに苦労したらしい。「おじちゃん、大宰府
には行かんとー」という。「どうして」たずね返すと
橋は渡りにくいし、お参りのときお辞儀をしてたら腰が
痛くなると、だからもう行かんとー」と説明してくれた。
私の妻が「学問の神様だから行くとよ」と説明したが今
度は妻に「おばちゃん、学問ってなーに」と聞いてきた。
妻が「頭がよくなると・・」と説明していたが「勉強は
変わらんよ、おばちゃん」と軽くいなされていた。
兎に角このかわいい、姉妹が元気に育ってくれればいい
とおもいながら子供たちとおやつをたべた。
銃を乱射した子供に送った詩
2010年 12月28日 04:58 (火)
佐渡ヶ嶽親方より番付表が届いた
2010年 12月25日 09:21 (土)
ご挨拶
2010年 12月23日 04:36 (木)
(1年間ありがとうございました)
今年最後のあいさつにある新聞社の役員さんへご挨拶へ言った。
久しぶりにお会いしたが元気そうであった。電話で無理な頼み
ごと相談事、所かまわずTEL,高速道の上だったり、東京出張だ
ったり、そこで会議中、視察中でもお構いなくしても必ず終わ
った後、電話をいただいた。定年退職で会社を辞めた報告と1年
間のお礼を言ってお別れした。
午後から妻と2人でお風呂へ行った。またそこで知ってる人、3
人と会った。1人は19歳のときからの付き合い。1人はひょとこ
仲間。他の1人は16年前から知り合いになり最近またお世話に
なってる人であった。縁とか付き合いというものはしておくべ
きだと思う。特に孤独に成らぬために若い人たちにお願いした
いものである。
一ノ宮けんし
またまた忘年会
2010年 12月22日 05:27 (水)
肉離れ!
2010年 12月20日 03:53 (月)
ひょっとこ忘年会
2010年 12月19日 11:00 (日)
鹿の大捕り物!
2010年 12月18日 05:45 (土)
(えさを求めて)
2010年12月17日雪が平野部でも降りつづけていた寒い朝だ
った。背振り山は雪景色、この日日本海側では全国的に雪
と風が振り荒れた日であった。コタツに入ってテレビを見
ているとヘリコプターが上空をパタパタと舞っていた。火
事か車が那珂川に落ちたのだろうかぐらいに思っていた。
テレビも終わり、朝の散歩へ出かけた。ところがヤナセか
ら弥永団地の前はタクシー、レスキュー・消防車、パトカ
ー人だかりがダイキョーストアーの前まで続いていた。そこに
は更にパトカー、警察官、新聞社、テレビカメラマンスー
パーとマンションの間にはサスマタを持った警察官、網で
取り囲んだ警察官など30人ぐらいが鹿を取り囲んでいた。
体長1,5M。高さ角まで入れるとやはり1,5Mあった。
あまりの大きさに取り押さえるとき暴れて、塀、フエンス
ぐらい乗越えようとしていた。すごいジャンプ力であった。
たまたまスーパーの人、数人がコンテナみたいな台車で片
足乗っけ、飛び越えようとした鹿の前をふさいだ。
あれだけ暴れていたから野次馬にけが人が出ていたかも知
れない。えさを求め山から下りてきたのであろう。気がつ
けば混雑した車の誘導、パトの警察官の前で私は誘導をし
ていた。幹部の人が降りてきてそのてきぱきさにお礼を言
った。更に気がつけば散歩は取りやめていた。福岡市南区
という大都会でこういう鹿を見たのは40年間で初めてであ
った。
作曲家A先生から電話
2010年 12月15日 06:29 (水)